The breast cancer 入院経験。
2008年02月09日
I treated the breast cancer ten years ago.
When I was hospitalized, I've had good friends at a hospital.
We are still close.
I understood value of the health after I got sick.
And I thought that a human being was strong unexpectedly.
乳がんで入院してたことがあってね、その時できた友達からさっき電話があった。
彼女とは、同じ乳がんで同じ時に手術をしたから、以来定期健診もずーっと一緒だった。
忘れっぽいRIRIの為に、検診の一週間くらい前には必ずハガキをくれて次は何日だからね、先にレントゲンの受付にいくのよって親切に書いてくれてあった。
この2月で丸10年経ったんだって。
広大のおんぼろ入院病棟(今はばりきれいよ)の6人部屋には、個性的なおばさん達がいて、みんなガンまたは、ガンに負けず劣らずの大病なのに元気だった。
肝臓ガンの彼女は、死にかけて三途の川を渡ってきたんだそうな。
川が流れていて、きれいな花畑がずーーっと続いていて黄色くまばゆい光が照らしていたって言っておられたと思う。そこに落っこちて、でも目が覚めたら生きていたらしい。
手術中に麻酔をかけられると人間いいたいことを言うらしく、医者にひどい悪態をついていたと家族に聞いて先生に合わす顔が無いとしきりに恥ずかしがっていておかしかった。
何ヶ月かして検診で出会ったら、お歳なんだけど、素敵なファッションでモデルのような化粧で別人みたいだった。
塾で数学を教えている彼女は、なんでも腸に穴が空くほどの進行したガンだけど、どちらかというと太めで背も高くどこから見ても元気なおばさん。
いつもお医者さんになりたてのドクターを相手にかまって遊んでいた。
独身で生活保護を受けていた彼女は、直腸がんで、人工肛門をつけることになった。
初対面から誰にでもタメグチで、言葉は荒っぽいけどとても優しかった。
演歌が上手で部屋でよく歌ってくれてよその部屋の患者も見学に来ていた。
数学の先生とこの彼女は一番気があって大の仲良し。
ririと同じ乳がんの彼女は、面倒見がよくて、みんなのお茶をもらいに行ったり、ついでに回りの人の食事をさげたり、付き添いに来たうちの姉に、暖かい缶入りポタージュスープを買ってきて、付き添いは疲れるでしょうと声をかけてくれたりしていた。自分が患者なのに。
ririは勝手に彼女は貧乏で苦労してきた人なんかなーと思っていたけど、退院後家に遊びに行ったらお手伝いさんもいるような家の奥さんだった。
でもお医者さんに、お金を包むようなことは彼女はしなかった。(ririも)
我ら大部屋病人はとても仲良くなり、それぞれの見舞い客もみんなの分まで差し入れを持ってくるようになったから、病院食のほかに寿司やらシュークリームやら最中やら焼きたてパンやら果物やらバクバク食ってるうちに、みんなどんどん大きくなってしまった(みんなで裏門から抜け出してお好み焼きも我慢できず食べに行った)。
外科病棟だから、みんなどこぞ手術していて術後食べさせてもらえなかった反動だったかも。
それで、ダイエットせねばということになって、夜な夜な病院内をウォーキングすることに。
静まり返った大学病院の中をおばさんグループは毎晩おしゃべりしながら腕をふって歩き回った。
点滴をがらがらおした人も歩く。
もちろん、医者も看護士さんもみんないい人で病院の設備が悪いというほかは、何の不自由もなくみんな楽しい入院生活を謳歌した。
これね、大げさじゃなくおうかしていたと思う。
みんなのお世話になって、暖かい思いやりも感じて、そして健康のありがたさも分って、いい入院だったねーといつも話している。
When I was hospitalized, I've had good friends at a hospital.
We are still close.
I understood value of the health after I got sick.
And I thought that a human being was strong unexpectedly.
乳がんで入院してたことがあってね、その時できた友達からさっき電話があった。
彼女とは、同じ乳がんで同じ時に手術をしたから、以来定期健診もずーっと一緒だった。
忘れっぽいRIRIの為に、検診の一週間くらい前には必ずハガキをくれて次は何日だからね、先にレントゲンの受付にいくのよって親切に書いてくれてあった。
この2月で丸10年経ったんだって。
広大のおんぼろ入院病棟(今はばりきれいよ)の6人部屋には、個性的なおばさん達がいて、みんなガンまたは、ガンに負けず劣らずの大病なのに元気だった。
肝臓ガンの彼女は、死にかけて三途の川を渡ってきたんだそうな。
川が流れていて、きれいな花畑がずーーっと続いていて黄色くまばゆい光が照らしていたって言っておられたと思う。そこに落っこちて、でも目が覚めたら生きていたらしい。
手術中に麻酔をかけられると人間いいたいことを言うらしく、医者にひどい悪態をついていたと家族に聞いて先生に合わす顔が無いとしきりに恥ずかしがっていておかしかった。
何ヶ月かして検診で出会ったら、お歳なんだけど、素敵なファッションでモデルのような化粧で別人みたいだった。
塾で数学を教えている彼女は、なんでも腸に穴が空くほどの進行したガンだけど、どちらかというと太めで背も高くどこから見ても元気なおばさん。
いつもお医者さんになりたてのドクターを相手にかまって遊んでいた。
独身で生活保護を受けていた彼女は、直腸がんで、人工肛門をつけることになった。
初対面から誰にでもタメグチで、言葉は荒っぽいけどとても優しかった。
演歌が上手で部屋でよく歌ってくれてよその部屋の患者も見学に来ていた。
数学の先生とこの彼女は一番気があって大の仲良し。
ririと同じ乳がんの彼女は、面倒見がよくて、みんなのお茶をもらいに行ったり、ついでに回りの人の食事をさげたり、付き添いに来たうちの姉に、暖かい缶入りポタージュスープを買ってきて、付き添いは疲れるでしょうと声をかけてくれたりしていた。自分が患者なのに。
ririは勝手に彼女は貧乏で苦労してきた人なんかなーと思っていたけど、退院後家に遊びに行ったらお手伝いさんもいるような家の奥さんだった。
でもお医者さんに、お金を包むようなことは彼女はしなかった。(ririも)
我ら大部屋病人はとても仲良くなり、それぞれの見舞い客もみんなの分まで差し入れを持ってくるようになったから、病院食のほかに寿司やらシュークリームやら最中やら焼きたてパンやら果物やらバクバク食ってるうちに、みんなどんどん大きくなってしまった(みんなで裏門から抜け出してお好み焼きも我慢できず食べに行った)。
外科病棟だから、みんなどこぞ手術していて術後食べさせてもらえなかった反動だったかも。
それで、ダイエットせねばということになって、夜な夜な病院内をウォーキングすることに。
静まり返った大学病院の中をおばさんグループは毎晩おしゃべりしながら腕をふって歩き回った。
点滴をがらがらおした人も歩く。
もちろん、医者も看護士さんもみんないい人で病院の設備が悪いというほかは、何の不自由もなくみんな楽しい入院生活を謳歌した。
これね、大げさじゃなくおうかしていたと思う。
みんなのお世話になって、暖かい思いやりも感じて、そして健康のありがたさも分って、いい入院だったねーといつも話している。
今、知人の中に、乳ガンの手術(1/24)後、次の治療段階に入られる方がいて、
ご自分のブログにパブリック&ポジティブに日記紹介されようとしています。
私も、毎年人間ドックで「乳腺炎」と診断され、授乳の経験無し、飲酒するし、
肥満傾向だし、00歳代後半だし…危険度超高%です。
ririさんも…でしたか。
増えていますね。検診での早期発見、大事ですね。
そして術後のケア:長い期間治療と向きあうことになるのですから…。
自分自身も心がけたいし、今乳ガンと向きあってられる皆さんを、応援したいです。
これはこの病院からの退院だったのかなあ、ってリリーの話思い出したよ。
俵 萌子女史も自ら体験した乳癌で友の会を結成し全国的に色々な
活動をされていますね。
癌検診受診は今だに皆無ですが・・・・どうなんでしょうかね?
(ふっふっふ、この時点でおじさんじゃないどー)
すごく痛かったけど、受けて、経験して良かったと思っています。
自分の身体は自分が一番良く知っているようで知らないことが多いと感じました。
健康でいること、普段は気がつきませんが実はとても貴重なことなのですよね。
それ、賛成です。パブリック&ポジティブ。
誰だって病気になることあるし、ふさぎこむより友達作って相談しながら、前向きに治療ですよね。
ブログだと情報交換も出来ていいかも。
必要以上に神経質になることは無いけどね。
放射線とか、時間がかかって憂鬱だけど、済んでしまえば一時だから。あまり心配しないでって、闘病中の人には言いたいと思います。
それから、乳がんは風呂上りとかに自分で検診できるしね。
>愛
そうそう、退院して、うどん食べてから(入院食には麺類は一度もでなかったからどしてもすぐ食べたかったのだ。)そのまま映画館に直行して、息子とその友達らとタイタニック観てから夜帰ったら他の家族が心配しとったんよ。
まだ、携帯の普及して無い時代でさ連絡つかなくて。
>美鳥花姐さん
紺屋の白袴じゃん!?
私の大の親友の薬剤師もいっそ検診なんて行ってないです。
一度も。
「人間なんて死ぬときゃ死ぬんじゃけー。」って言います。
どーなん??プロのひとら!
看護士さんでも手術室は怖いって分ってちょっと安心しました。
>シードルおじさん
あれ、痛いよねー。
ギュウギュウ仇みたいに。
でも、おじさんでも、ちゃんと行くからえらいです!
私もそうでしたわ。
1月24日に手術をした、乳がんのとわです!(この自己紹介もなんですね)詳細は、URLのBlogで(爆)
いやー!急なことで本人もびっくりし驚愕し、不安になり、泣いたけど(笑)勝負は、勝つしかないので、がけっぷちな私たち乳がん患者は、前向きに笑顔で闊歩しましょー!としかいえません。
すべての人が同じように前向きになんて、簡単になれないでしょうし、私だって、すべて前向きで笑顔ってわけじゃないですが、皆さんの励ましと、あと同病の大先輩の皆さんが再発転移しても笑顔で抗がん剤治療入院してるのを見たら、私、落ち込む暇ありませんでした!(笑)
私の病院もririさんとおなじよーな設備と建物は不安あっても、お看護士さん、お医者さんには温かい人ばかりで、満足でした。
本当に楽しい入院ライフで、ハワイ旅行に来た気分でした(暖かかったし)。これから放射線治療と、念のための抗がん剤治療します。先輩方の励ましを受け、頑張る所存ですう!
どうぞ、ririさんも皆さんも、お互い頑張りましょ!!
初書き込みでたくさん言って失礼!
京のふくろうさん、ほんとにありがとうね♪
ヨガって痩せるんかね?
私もなんかせんといけん。
とりあえず、旨い日本食につられて食いすぎないようにせんと。
私も今思うと、入院はほんとに良い経験でした。
その時できた友達のおかげでさして不安もなく気がついたら1年たち、3年たち、5年たち、すっかり忘れた頃10年です。
私は、退院後即会社復帰だったし、家事もあるし、あまり病気のことを考えてる間もなかったから、その方が良かったような気もします。
手術が済んだんだから、後はそれぞれに合う治療をして、その後は何年かの検診だけだからどうってことないですよ。
母は強しです!
きっと、そうなっていきますね。ただ、その10年、大事に生きて行こうと思います、あまり肩に力は入れないで(笑)
緊張は、確かに、今現在はありますね。
あさってから、放射線治療などのために病院に近い、実家へ移り、家を1ヶ月留守にします。退院してから本日までの1週間のおかげで、心がすっかり病院モードから日常モードに戻り、これって幸せな日々だと思います。脳内の「がん」の文字が、日常のおかげで、忘れる時間もありますからね。
夏が終わるころには、治療ひと段落なので、秋には家族で温泉旅行でも行こうと思います(笑)
私は、会社から車で15分ほどだったので、ひとっ飛ばしして通いました。治療は音楽聞きながらベッドに寝てるだけで、痛くも痒くも無いです。でもどんなに仕事が忙しくても休まずに行かないと行けなかったからとてもめんどっちい治療でした。終了したらほっとしましたよ。
治療が終わっても当分うっすら赤く日焼けしたようになりますが、段々消えてわからなくなります。
銭湯に行くと同じ様な人もおられましたよ。
温泉いいなー。
あ、今思い出したけど、広大では放射線科の先生がメンタルなケアをしてくれていて、何か心配事は無いかとか不安は無いかとか聞いてくださってましたよ。
外科の先生はめちゃくちゃ忙しかったのでそっちで聞き逃したことなどは放射線科の先生に聞いたら連係プレーでなんにでも応えてくれてました。
遠慮なく不安があったら先生に聞きまくってもいいと思いますよ。
放射線ちょっと長いけどがんばって通ってください。