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今月のブラアリタは酒造廻りです。

2018年06月12日
今回は、毎回ご当地の歴史を聞かせてくださって案内してくださる有田さんの地元西条です。

img03.png

6月17日 am10:00 西条駅改札口前~東広島観光案内所付近(西条駅改札口前) 集合。
雨天決行。参加費無料。終了は12:00を予定。
昼食希望者は1000~1500円程度(各自負担)で昼食予約しますので事前連絡お願いします。

お申し込みはお早めにカモメまで!




ブラアリタレジメ(西条駅前→酒蔵通り→国分寺)


(西条)  東広島市人口193,427人(2017年5月1日)

①四日市次郎丸(元寺町):豊臣秀吉が九州征伐の際、旦過寺に宿泊。この頃西条四日市の名が見え教善寺.祇園社を中心に市が立っていた。毛利時代は、四日市目代が置かれた。次郎丸:西条町上市にあった若宮社の鼓頭を次郎丸といいその名から出たと言われる。

②江戸時代、旅籠70軒を超える広島有数の西国街道に沿った西条四日市と言われる宿場町。

③江戸時代の酒株制から明治に入り免許制(お金を出せば免許が貰える)になり西条は酒造りが盛んになった。三浦仙三郎による軟水醸造法の発明と指導普及により西条は兵庫県の灘・京都府の伏見とともに日本三大銘醸地と称された。1キロ以内の地域に多くの酒蔵が軒を連ねて並んでいるのはここだけ。

④「酒蔵通り」は白壁やなまこ壁、赤煉瓦の煙突など独特な建物(国の登録有形文化財)が並んでいる。

⑤平成29年12月「日本の20世紀遺産20選」(イコモス=世界登録を事前に審査する国際記念物遺跡会議)に西条の酒造施設群が選ばれた。

⑤広島大学=昭和57年(1982)に工学部が先陣を切って移転し、西条キャンパスが開校。ブールバール(フランス語:並木会街)経由で広大まで5.4キロ。

⑥毎年10月には「酒まつり」が催され、多くの観光客が訪れる。

⑥のん太くん((平成27年)1月1日付で東広島市公認マスコットキャラクターに任命)。

(1)西条警察署跡 明治7年(1874)西条四日市に第八区邏卒出張所設置→明治9年第3区警察出張所→明治10年四日市警察署→明治19年竹原へ警察署を移転、四日市分署へ→明治26年四日市分署が西条警察署へ昇格→昭和20年国警賀茂地区警察署へ改称→昭和20年西条警察署へ改称。

(2)脇本陣跡 宿駅には本陣の他、予備として脇本陣が置かれた。祐一郎(庄屋格向胡屋)宅。部屋数14,畳数74畳。 

(3)賀茂郡用所 浅野藩政時代賀茂郡に7人の割庄屋が置かれ1人づつ交代で年番勤務、これに一人の庄屋が手伝って郡内の事務処理に当たった。高札場跡

(4)平田屋煎餅店跡.金毘羅社.芸者置屋「たぬき」跡

(5)西条農学校跡・門跡 東広島市中央生で涯学習センターホール東に歩道に残る長石は正門前の架橋だった。明治43年(1910)5月7日開校、当時、東の安城・西の西條・加茂農林を加えて三大農学校と称せられた。大正9年(1920)農業教員講習科併置etc。昭和7年中国駅伝初優勝。昭和23年学制改革で広島県西条農業高等学校→翌年の高校再編成で総合制の広島県西条高等学校→昭和28年高校再々編成で広島県西条農業高等学校に変更。昭和46年新校舎移転した。

(6)ショージ発祥地 昭和16年(1941)賀茂北生活必需品小売商業組合設立。ここを拠点に配給機関として活動。昭和50年一円の小売商が中心となり西条商事を設立した。

安芸国分寺

(1)天平勝宝2年(750)建立
(現在)真言宗御室派金(きん)嶽(がく)山常光院安芸国分寺 本 尊 薬師如来坐像

(2)大宝13年(741)国分寺造立の詔(聖武天皇は疫病、飢餓、反乱等による荒廃等から国を守ることを願い、一国一寺の国分寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(「法華滅罪之寺)の造立の詔を発し国分寺に「金光最勝王経」が納経された。(続日本記・類聚(るいじゅう)三代(さんだい)格(きゃく))

1.天平19年(747)11月造営が進捗せず、3年以内に塔・金堂・僧坊を造り終えるよう督促、天平勝宝8年(756)6月に来年5月の聖武天皇一周忌までに国分寺に仏像・仏殿、塔を造るよう命じている。全国的に国分寺が建立されたのは756年(井上薫説)から770年(門田文衛説)と考えられていた。但馬国分寺跡で木簡(天平神護3年(767))出土しているがこれが最古のものと言われていた。

2.安芸国(現在の広島県の西部地域)では西条に建立。発掘調査(東門の発掘調査で、ゴミ捨て穴を掘って廃材をまとめて土をかけているのを発見したのが発端で水に浸かり昔のままの姿で出土した)によって安芸国分寺には主要な堂宇が建てられ、僧侶によって法会が行われていたことが明らかになった。調査の結果、門跡、金堂跡、講堂跡などが南北の伽藍中枢線上に一列に配置されたことが明瞭となった。南門跡は東西10メートル、南北7メートルを測る基壇をもち、中門は東西14メートル、南北10メートル前後の基壇をもつ。安芸国分寺(国史跡)発掘調査で、天平勝宝2(750)年頃建てられ、現在のところ全国で最も早く建てられた国分寺である。

(3)安芸国分寺の歴史

1.源平合戦 元暦元年(1189) <源範頼軍>安芸国分寺 <平氏方>福成寺を拠点とした(西条町史)。伽藍は戦禍を受けたが、金堂の屋根瓦はこの頃葺き替えられ、末寺は十数ヶ寺あったと言われている。

2.戦国時代 大内氏・毛利氏などの庇護のもと、伽藍全体が造営され、仁王門の祈祷札に、「天文12年(1543)」の銘がある。

3.江戸時代 広島藩主の福島氏は領内の寺社領を没収し、浅野氏は藩の祈祷所としたが宝永年間(1704~1711)は衰微。第35世宥雄は国分寺を復興し豪商木原保満が建物を修造. 宝暦7年(1757)に宝篋印塔を建てている。宝暦9年(1759)仁王門を残して焼失した。

4.現在 安芸国分寺を中心とした一帯は国史跡に指定されており、安芸国分寺歴史公園として整備が進められている。元々の鐘は寺家の正福寺へ、本堂は造賀の正願寺にある。

(4)安芸国分寺の文化財

1.仁王門(東広島市重要文化財)16世紀中期の建立。東西(間口)5.4m南北(奥行)3.1m。現存する八脚門ではこの地域唯一のもの。「船肘木(ふなひじき)」の垂木は、この時代の特徴である。仁王像は、肉付きがよく秀作で、この地域では珍しい。

2.護摩堂 (東広島市重要文化財)江戸時代後期の建立。重厚で装飾的な細部意匠を用いた唐様を主体としているが、天井などに和様の手法がみられる。藩主浅野氏の勅願所で、正面の向拝等に違鷹羽紋(ちがいたかはもん)がある。

3.薬師如来坐像(東広島市重要文化財)平安時代中期の作 安芸国分寺の本尊で本堂の厨子に安置され、33年に一度開帳される寄木作りの秘仏。厨子の両側には日光・月光菩薩立像が安置されている。宝暦9年(1759)に頭部を残し焼失し、翌年、山口伊織豊房(京都の仏師)が胴体を復元した。

4.木造薬師如来坐像 (広島県重要文化財)薬師堂に安置。平安時代中期の作で寄木造り彫刻として貴重。国分尼寺のご本尊だったという説もある。度々火災にあったため表面は炭化。明和5年(1768)に炭化面を和紙で補修。平成19年に全身を和紙で保護し往時の姿に甦った。

5.塔跡 国分寺境内から西方50mの地点に聖武天皇の玉歯が埋めてある塚があるとの伝承。昭和7年の発掘調査の結果、地下1.5mのところから、心礎と囲んで四天柱礎と12個の側礎が当時のまま発見された。約56mの七重の塔跡が建てられていたと想像された。この地が国分寺か石清水八幡宮のものか争いがあったがこの発見により解決された。礎石に焼跡があるが、元暦元年(1189) 9月の源平合戦により焼失したものと推定する。<西条町史>

(5)発見の意義について=安芸国分寺発掘から見えたもの

1.今回出土した34点の木簡は、荷札では通常国名から書かれるが、安芸国分寺のものは郡名あるいは郷名のみ(佐伯郡・高屋郷等)で、その下に物品名が記載されており、これらは関連する纏まった木簡群であった。木簡は安芸国内の各郡から賀茂郡に所在する仏教機関(安芸国分寺)へ送られた荷札と推定され安芸国分寺付近は安芸国の中心の一つである。

2.墨書土器「安居」から僧侶の修行や「斎会」から僧侶への食事提供が行われていたことがわかった。

3.天平勝宝2年の段階で、安芸国分寺で宗教行事が行われていたことは、すでに金堂などの建物や本尊仏が完成しており、国分寺の中枢部分は完成に近づいていたと推測できる。

4.鑑真は天平勝宝6年(754)に入京したが、安芸国分寺では天平勝宝2年を表示した木簡が出土した。

5.平城京の瓦の鋳型が、安芸国分寺の瓦として使用されたことも発見された。

6.同時に「安居」「斎会」「国師院」の墨書土器が出土したことにより、鑑真入京以前の国分寺創建時から伝統的な戒律による修行生活がめざされていたことが証明できた。

7.安芸国分寺の整備過程だけでなく宗教行事のあり方地方で支える姿等を考える資料になると思われる。
石清水八幡宮 1.安芸国分寺の鎮守社という伝承がある。2長和2年(1013)の勧請といわれる。3.文政2年(1819)当時吉行.土与丸.四日市次郎丸の氏神4.「大日本國、安芸州、東條郷寺町八幡大菩薩神輿也、所祈天長地久、子孫繁昌、應永廿六年卯月吉日、沙彌道性」(石清水八幡神輿木簡)これにより吉行は昔「東条郷寺町」と呼んでいたことが解る。沙彌道性=黒瀬の新居氏
松本隆興 1854-1928 明治-昭和時代前期の教育者。白島師範(広島師範の前身)卒。明治6年(1873)土与丸村大林寺に吉土実小学校の前身振起館を開設、同12年(1879)農商務省に勤務、同29年(1896)帰郷し西条町長に就任、同30年(1897)吉行村に巡査・文官試験予備塾を開設、同34年(1901)石清水八幡神社宮司就任。4月賀茂郡吉土実村大字吉行(現東広島市西条町)の自宅に、小学校准教員の養成を目的とする「私立松本学校」を開学。大正3年松本商業と改称(瀬戸内高の前身),1923(大正12年)年「広島県松本商業学校」に昇格,昭和2年まで校長をつとめた。

大吟醸酒
精米歩合50%以下、麹歩合15%以上。米、米麹、水、醸造アルコールを添加。

純米大吟醸
精米歩合50%以下、麹歩合15%以上、米、米麹を使いアルコール添加をしていない。

吟醸酒
精米歩合60%以下、麹歩合15%以上、若干のアルコールを添加。「 吟醸 」と名の付く酒は、「吟醸造り」をした酒で、吟味して醸造することをいう。伝統的に、よりよく精米した白米を低温でゆっくり発酵させ、粕の割合を高くし、特有な芳香(吟香)を有するように醸造する。

純米吟醸酒
精米歩合60%以下、麹歩合15%以上、アルコール添加をしていない。
本醸造酒 精米歩合70%以下、麹歩合15%以上、若干のアルコールを添加。糖類を使用しない清酒。米麹、醸造アルコールを原料とし、香味・色沢が良好なもの。醸造アルコールは白米の重量の10%以下と定められている。

特別本醸造酒
原料は米、米麹、水、醸造アルコール。精米歩合が60%以下と本醸造酒よりも高くなっている。精米歩合が60%以上の場合でも、酒造好適米(酒税法で規定されている酒造に適した品種)を50%以上使ったものや特別な製法を使ったもの(長期発酵や特別な搾り方など)も「特別本醸造酒」と名乗ることができる。

純米酒
精米歩合による規定はない、アルコール添加をしていない。白米、米麹(麹歩合15%以上使用すること)、水を原料としてつくられる清酒で、香味及び色沢が良好なものをいう。また最も高い精米歩合を表示することになっている。

特別純米酒
精米歩合が60%以下。純米酒と同じく、原料は米、米麹、水だけ。純米酒と違うのは精米歩合に関する規定があること。精米歩合が60%以上の場合でも、酒造好適米(酒税法で規定されている酒造に適した品種)を50%以上使ったものや特別な製法を使ったもの(長期発酵や特別な搾り方など)も「特別純米酒」と名乗ることができる。

普通酒
醸造アルコールを加えたもので、精米歩合には規定なし。特定名称酒に含まれない清酒はすべて普通酒。

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コメント
Decade
同郷のK様の件はご連絡ありがとうこざいました。
貴画廊の「縁が縁を呼ぶ偉業の十年」おめでとうございます。
西条と言えば、私は広大横にある児童養護施設・広島新生学園に自作の大きな絵画3点を当施設の改築祝いに寄贈するはこびとなりました。昔描いた作品です。
当学園はもともと広島城そばにあった原爆孤児院で、新藤兼人監督の映画「原爆の子」の舞台になった施設です。主演は音羽信子。

*先月末の記事:5/29の川辺のレストランの名前や場所を教えて欲しいです。
訂正
正:乙羽信子
カタギの鷲ちゃん
それはすごいねー!
観に行ってもいいのかな??
嬉しいことじゃわーv-432

十周年すごかろう~!
確かに縁が縁を呼ぶのが取りえみたいなね。v-405

あのレストランは、ドゥ レウリ。
https://tabelog.com/hiroshima/A3401/A340108/34018373/
安くて美味しくてきれいよー!!
奢ってくれなさいv-510

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