地震と津波と放射能。
2013年03月12日
被災された方たちが、どんなに恐かったか。
うちのアトムは二年前の震災の直後に、東京のホームセンターで売れ残りかけていたところを防災グッズを買いに行った味噌たちに見つけられて広島に引き取られてきました。
二度と原子力発電の事故が起きないように、こういう悲惨なことがあったことを私たちが忘れないようにアトムと味噌弟に名づけられました。

地震は防げなくても、原発事故は人の手で防げるのだから私たちは間違いを再び起こさないようにしなければいけない。
ムーミン谷から、ムーミンのご先祖様と帽子屋トーリの麻希さんがやってきました。

麻希さんは平和についてしっかりと考えていて、3.11には広島に来ようと思っていたそうです。
遠く埼玉から、まずは帽子の作品を広島で発表してそれから平和や原発などについても何が出来るか考えて行動できる和を広げていきたいと思っているんだそうです。

帽子作家の斉藤麻希さんと画家はるさん。
来年2014年1月のはじめ4日から15日まで、カモメのばぁばぁで作品展をしていただけることになりました。
こんな日に平和について語る不思議なオーラの女の子が突然カモメのばぁばぁに入ってくるなんて、やっぱりムーミン谷から来たとしか思えない!
☆はるちゃんも出品する広島の女流作家たちのグループ展も明日12日からギャラリーGにて始まります。
うちのアトムは二年前の震災の直後に、東京のホームセンターで売れ残りかけていたところを防災グッズを買いに行った味噌たちに見つけられて広島に引き取られてきました。
二度と原子力発電の事故が起きないように、こういう悲惨なことがあったことを私たちが忘れないようにアトムと味噌弟に名づけられました。

地震は防げなくても、原発事故は人の手で防げるのだから私たちは間違いを再び起こさないようにしなければいけない。
ムーミン谷から、ムーミンのご先祖様と帽子屋トーリの麻希さんがやってきました。

麻希さんは平和についてしっかりと考えていて、3.11には広島に来ようと思っていたそうです。
遠く埼玉から、まずは帽子の作品を広島で発表してそれから平和や原発などについても何が出来るか考えて行動できる和を広げていきたいと思っているんだそうです。

帽子作家の斉藤麻希さんと画家はるさん。
来年2014年1月のはじめ4日から15日まで、カモメのばぁばぁで作品展をしていただけることになりました。
こんな日に平和について語る不思議なオーラの女の子が突然カモメのばぁばぁに入ってくるなんて、やっぱりムーミン谷から来たとしか思えない!
☆はるちゃんも出品する広島の女流作家たちのグループ展も明日12日からギャラリーGにて始まります。
アトムちゃんとの関連が名前に刻まれてますね。
苦悩は苦悩した人に伝わるのでしょうか・・・。
地震発生から30分でしょうか。こちらの町の浜辺に到達し、そこから逃げてきた人の話は、とにかく足がもつれて、何が何だかわからなかったと言ってました。ご主人は会社でしたので、3日かかって子供奥さん達を探し会えたと。(避難所で)
「俺らの町は俺らが守る」と地元消防員の方が、バイクで浜の人達を逃がして、一人ご老人の方だけ救えなくて
近くのコンクリートの2階の屋根に数名と登り難を逃れたそうです。
東京からボランティアで来ていた方に案内され教えて貰いました。何が何だかわからないことと、縦揺れの恐怖でした。日が経つにつれ恐怖がジワジワです。
ムーミンのアニメが出る以前より、トベヤンソンの
本の原画に魅せられて全巻買っちゃいました。
麻木さんと、はるさんが生まれるずっと以前。
すっかり忘れていたのが、思い出しました。
気に入ってみんなに貸し出して何故か戻ってきませんでした。(マッイイか)
ホントイィスね―――――ムーミンママが好きでとにかくみんな好きでしたね。確かムーミンの彼女のお兄さんの名前が気になり、今調べるところです。
とっても楽しいムーミン探しでした。緊張の中でふとやわらげられました。有難う御座います。
うちの母も被爆して58歳であっちもこっちもガンになって苦しんで亡くなっているので、原発の安全性が全く信用できない今、再稼動には反対です。
一日でも早く震災にあわれた地域の方たちが穏やかに過ごせるようにならなくては。
ムーミン、私も大好き。
ばぁばぁさんはすごい昔からのファンなんですね!!
ほっとしますよね!