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催しがめじろおしで!

2019年11月28日
最近、夜が長いですよね。

先週の土曜の朝はいつもの英会話の集まりでした。
この会は先生はいないので少々間違っていても言いたいことを伝えればいいね!というサークルです。
会議などで自分の意見をはっきり言うことに日本人は慣れていないのでチャレンジ!しています。



11月23日午後は恒例のブラアリタです。
今回は私のリクエストで牛田の不動院からブラブラしました。

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私が思っていた不動院は不動院ではなかったみたいで本当の不動院に初めて訪れました。
たまたま本堂の中を見せていただける日だったのでとてもラッキーでした。
天井とか素晴らしい木組みでした。写真撮れなくてザンネン!


水道資料館にも行きました。
戦後の水道修復の話などとても興味深く施設の方にお話を伺いました。

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最後にみなさんは安楽寺の大イチョウを観に行かれましたが私と宇根さんは次があったので急いでカモメに帰りましたが、途中でこっそりサツマイモソフトを食べました、歩きながら。

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めっちゃ歩きましたがいいお天気で気持ちの良いブラアリタでした。
有田先生、ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。
1月は護国神社の辺りだそうです。詳しい日程などが決まったらまたお知らせします、お楽しみに!





そして夜は、ただいま個展開催中のよねむら欣子さん主催の『朗読会』がありました。
先生方の特別出演もあり胸を打つ朗読を聴かせてもらいました。

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多和田さち子さん、高田裕志さん、よねむら欣子さんによる朗読、そして日高徹郎さんによる謡い、最後に欣子さんと伊藤さんの二胡とウクレレ演奏とアンコールも!
素敵な夜をありがとうございました!

30名ものお客様がお越しくださったので酸欠になりそうなカモメでした!
遠方からもお越しいただいていたようでありがとうございました。

一日に三つもイベントがあったのは初めてなのでハードな一日でしたが皆様にご協力いただいて無事に終わりました。






そして、私は初めて手作りのカレンダーを作ってみました。
先日風呂部活で大田部長に三次の美術館で開催中の安西水丸展に連れて行ってもらって、水丸さんは和田誠さんや村上春樹さんたちと句会をされていて俳句カレンダーなども作って楽しんでいたと書いてあったのでさっそくカモメの俳句会の皆さんの句をriri選で月めくりの小さな暦を20部製作しました。
五年分読み返したら、みなさんの俳句は凄くて私のんははずかしくて可笑しくてもぅ・・・。

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次の句会で押し売りますから~。一部300円です! 句会のみなさまよろしく!



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基町の仕事場へお邪魔したこと。

2019年11月23日
いつもより少し早く起きてガタロさんの仕事場に、この夏の「カモメ夜のコレクション展」にお借りしていた絵を返しに行った。
通行手形(小さな焼酎の紙パック110円)をコンビニで二つ買って(二人で行ったから二つ)持ち込む。
基町アパートのショッピングセンターの端っこのドアを開けたら暗闇に先に行った鴎娘とガタロさんが座っている。
しばらくして目が慣れたらガタロさんがいつもの様に絞った雑巾を一つ描いておられる。
「わしはヘタじゃから毎日デッサンしよるんよ。」

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ガタロさんはゴッホが好きで、彼の描いた裸婦が好きなんだそう。美しいモデルを描いた絵なんかには心を動かされないそうで、多分この絵だと思うけれどこういうおっぱいの垂れた女の身体こそお母さんを思い出すようで美しいと思うんだそう。

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狭くて暗いガタロさんのアトリエは落ち着く。絵の好きな人の話は楽しい!



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芋煮鍋いただきました。

2019年11月15日
先日、友人たちと北広島の三浦邸にお邪魔しました。
うっすら紅葉をした山並みの景色を楽しんで二台の車で北へ北へ。
豊平どんぐり村に立ち寄って地産のものを物色してからメリーおばさんのいる三浦邸に到着したら菊の好い香り。

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ひとしきり観察を終えて、お昼ご飯は芋煮会です。
大切に育てられた鶏を一羽買ってきて下ごしらえをしてお出しをとってありました。
地産の里いも・かぶ・しいたけ・白菜・人参・白ネギ、厚揚げなどが入ったとても美味しいお椀です。
それから、麦の入った炊き立てのご飯と自家製のお漬物の美味しいことと言ったら!!

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「つい昨日か一昨日まで生きて草を啄んでいた鶏なのかもしれない。」
「誰かが大切に植えて時期が来て掘り出して土を落としてここにやってきた子芋かもしれない。」
あぁ、生きているもののお鍋なんだなーと思うと大事にいただかないといけんなーと思ったのでした。
ドイツはハンブルグから帰省中のヘルブラウさんも一緒に行けましたよ。
三浦さん、どうもごちそうさまでした。






さて、カモメの展覧会はさをり織の作品展でした。
最も可愛かった織り手さんのみっちゃんは、覚えが早くてさっさと織れました。

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石丸先生が何にしてくださるでしょうかね?楽しみです。
本日11月15日までで石丸光枝さをり織り展は終了です。

明日11月16日からは、「つくってみました!ガラスとがまぐち?」すてんどぐらすや よねむら欣子 が始まります。
今年は残すところ、後は12月1日からの石井紀子作品展「ゆめうつつ」(ペン画)と、ラストは似顔絵の先生たちがやってこられます。
年賀状にしたい方がおられるかもしれないので会期が始まる前に注文をいただいて早めにお渡しすることもできる予定です。

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早めにおわたしできるのは、おじゅんさんの似顔絵です。↑
リリとアトム程度の写真をご用意ください。12月に入ってからのお渡しになります。
会期中に描いてくださる似顔絵屋さんは他に四名おられますからお楽しみに!
カモメにお問い合わせください。



来年のスケジュールカードができました。

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カモメにあるからもらってください。









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郷土史を学びながらお散歩しましょ!

2019年11月11日
毎週土曜の朝には「英語でおしゃべりの会」をしています。
朝9:30~10:30です。
昨日の土曜朝は、会のみなさんで三滝散策に行きました。

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吉田さんに英語で三滝の名所をあちこちガイドしていただきました。
横川からは電車で一駅で紅葉も散策も楽しめる穴場ですよ。吉田さんにガイドしてほしい方はカモメにご一報ください。




久々のブラアリタのお知らせです。
今回はカモメではなく、直接不動院に午後1時半に集合です。
ご予約をお願いします。参加費200円。

令和1年11月23日ブラアリタレジメ(牛田界隈)

①不動院
山号新日山 真言宗別格本山 正式名 新日山(にひさん) 安国寺 不動院 天平2年(766)行基が開山といいわれる。
足利尊氏、直義兄弟が日本六十余州に設立した安国寺の一寺で、安芸安国寺として、安芸守護武田氏の菩提寺として繁栄。戦国時代には戦火により伽藍が焼失し武田氏も滅亡したが、毛利氏の外交僧安国寺恵瓊により復興された。豊臣秀吉から15000石の寺領が与えられた(新日山略縁起)。福島正則が入国し、正則の祈祷僧である宥珍が住持となり宗派を禅宗から真言宗に改め、不動明王を本尊とし不動院と称した。宥珍は福島正則が川中島へ転封の際正則に従った。浅野氏が広島に入ると浅野家歴代藩主の保護を受け、また藩主光晟より当山派修験の袈裟頭として芸備両国の山伏支配を命じられ明治に至った。原爆のとき、被爆者の受け入れ先として機能し、境内にはたくさんの負傷者で溢れかえった。
 不動院金堂(国宝)   安国寺恵瓊の墓                
  福島正則の墓      武田刑部少輔 (光和)の墓           
不動院金堂(国宝)は天井画に天文9年(1540)と記され室町時代の禅宗様の特徴。山口市の瑠璃光寺から移転。
木造薬師如来坐像・楼門・鐘楼・梵鐘は国指定重文、木造仁王立像は県指定重文。
②自在坂神社
不動院の鎮守社、祭神は八幡大神で「猿宮」とも呼ばれている。神田神社も合祀されている。
③日通寺
日通寺:光晟の正室.満姫(加賀国前田利家の孫)が川船で通る際立寄って茶を所望したのが縁で元禄5年(1692)建立されたと言う。境内には加賀前田家家紋の梅鉢紋入手水鉢がある。「日新館」があり300石以上の士分でないと山門はくぐれなかった格式のあった寺であった。日蓮宗不受不施派禁圧以降、浅野家は天台宗に改宗し菩提寺を国前寺から牛田の"日通寺"に変えた。後に天台宗から日蓮宗に改宗。5代綱晟は「日新館」跡地に延宝6年(1678)御茶屋を設け、歿後は東の新山に埋葬され藩主代々の墓所「浅野山」となった。
④広島市水道資料館
人々は太田川の水を直接、飲料水としていたが、水害が多発生、しばしばコレラや赤痢などの伝染病が流行したことから、水道の布設が強く望まれた。明治27年(1894)に日清戦争が起こり、広島市が軍事上の拠点となったことから、軍用水道とこれに接続する市民用水道として水道布設工事が進められた(有栖川宮熾仁親王は参謀総長として広島大本営に下るが、広島で腸チフスを発症)。広島市の水道は、明治31年(1898)創設、翌32年(1899年)1月1日に給水を開始した。神田橋水道橋は、当時旧日本軍の拠点であった広島城を結すび、猿猴橋水道橋は、牛田配水池から日清戦争以降兵站拠点となった宇品港を結ぶ軍用水道管だった。資料館は大正13年に建築された送水ポンプ室を改修したもので、昭和60年に館内外の展示により開館。建物は被爆建物として登録され、近代化産業遺産にも選ばれている。
⑤神田神社分社
文亀3年(1503)安芸武田氏当主武田元繁が佐東銀山城(武田山、安佐南区)の守護神として甲斐国から神田八幡宮を勧進、現在の東区スポーツセンターあたりに奉遷した。明治22年(1889)この付近が軍用地となり、神田神社は宇品へ移転。これを惜しんだ地元住民により軍用地のそばに神田神社の分社が祀られた。戦後、軍用地が市に払い下げられ再整備された際にその分社一帯は浄水場敷地内となり、現在の神田神社分社となった。8月6日の広島平和記念式典では、ここの手水鉢から献水を供えている。
⑥ピカドンたけやぶ
爆心地から北東に約2・5キロ。住宅街の中に青々と茂った竹やぶ。中に防空壕がある。原爆が投下された時、多くの人が避難した。その実話を基にした絵本「ピカドンたけやぶ(はらみちをが創作)」。1983年の出版後、ドラマやミュージカルになった。今でも「ピカドンたけやぶ合唱祭」が毎年開かれ、竹やぶを守る会もある。
⑦早稲田神社
(由緒)古文書に『文亀三年工事を起し、爾来数年にして通常平地を一変し、一小丘を作り、永正八年九月十五日、ここに神霊を安置せり。よって今に至るも、「垚八幡宮」又は「垚の宮」と称す』とある。
亦、古老に依れば、武田氏不動院の向いの武田山山上に安芸の国の守護職の武田氏が居城銀山城を建てられたが、その居城より展望すれば牛田のあたりは方位が鬼門に当る処から平安を祈り源氏方の守護神である八幡神を祀り、見立山に「神田神社」、早稲田山に「早稲田神社」を建立したと伝えられる。
(御祭神) 帯中津日子命•品陀和気命 •息長帯日売命
・早稲田神社東側斜面遺跡 昭和32年(1957),早稲田神社の再建工事の際に発見された弥生時代中期後半(約2,000年前)の土擴墓(どこうぼ)。土擴は上縁の直径1.5m,深さ1.5mで,底には20~30cm大の石がすり鉢状におかれていた。土壙の底から70~80cm上部から,頭蓋骨,下顎骨(熟年男性)の一部が検出された。円筒形の土壙のなかに,座位屈葬の形で埋葬したものと推定される珍しい例である。土壙の上面には,ハマグリ・カキなどを中心とする小貝層があり,弥生時代中期後半の土器片や石鏃(せきぞく)が出土した。なお,西側傾斜面には,縄文時代早期(約9,000~6,000年前)の遺物包含層が分布し,押型文土器や石鏃などが多数採集された。
⑧安楽寺
永享元年(1429)天台宗法大寺として建立。天文2年(1533)浄土真宗に改宗。宝歴8年(1758)の広島城下の大火で焼失、天明8年(1788)、本堂が再建された。爆心地から2.19キロメートルで被爆、本堂や山門は骨組みだけとなり、庫裡も倒壊し本堂は現在も北に傾いたままで、軒裏には焼け焦げた跡が残る。境内には原爆の類焼から守ってくれた大イチョウが、今もそびえる。木造如意輪観音菩薩坐像は、市内で最古の観音像として広島市重要有形文化財に指定されている。
⑨神田橋
寛文4年(1664)広島藩浅野氏2代藩主浅野光晟時代に、神田神社への参道筋として木橋が架橋された。名の由来は神田神社から来ている。元禄5年(1692)浅野家は菩提寺を牛田の"日通寺"に変えたことから、広島城から菩提寺へ向かう参道筋にあった唯一の橋でもあった。江戸時代当時は防犯上の理由により橋の架橋は制限されていた。主要ルートである西国街道筋の橋(猿猴橋・京橋・元安橋・本川橋・天満橋・福島橋・己斐橋)と、雲石街道筋の橋(横川橋)と、城下には8橋しかなく、神田橋はその中でも最も長い60間(約109m)の長さを誇り唯一街道筋ではない橋であった。原爆被災。爆風方向にかかっていたため、白島寄りが部分陥没して渡るのに危険な状況であったが落橋はしなかった。そのため、上流側の工兵橋と共に市内から郊外への避難経路として使用された。南側の白島町は全滅、南詰にあった民家から出火し町内全域全焼している。太田川に浮かぶ死体が満潮時に上げ潮に乗ってこの付近まで流れ着いた。昭和37年(1962)現在のものに架け直された。

(引用文献)広島城北大絵図、瀬戸内歴史散歩,現地案内版,ウィキペディア他


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十一月の俳句会

2019年11月09日
カモメのばぁばぁ「夜の美術館」句会報第六十三号(令和元年十一月)

十一月三日(日)、三連休の中日は、丁度文化の日と重なった。石丸光枝さんの個展の会場をお借りして、欠席投句のねむ女さん、新治さん、えこさんと初参加の丹波晶子さん、五月愛幸さん、陰山明枝さんを含めて十三名の参加者で六時に、いつものように始まった。
(◎印は高点句、◯印は次点句 ○○○は原句修正箇所)
    (清記逆順列記)


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兼題 「短日」

ことさらによく泣く稚児日の短か  明枝
気を抜くと猫背になりて日短し  走波
短日や道行く犬の尾の白し  進
日短し残り野菜のスープかな  六星
◎酒場までおっとり歩く日の短  下駄麿
短日や青菜洗ひし手を止める  たつみ
短日や為すべきことが多過ぎて  厚子
短日や呉の戦艦影を増し   愛幸
神まつる紙垂のはためく短日の暮れ  晶子
短日の朝日さしこむ裏の路地  茂樹
○ちゃん付けで呼ぶ夫のゐて日短  ねむ女
◎短日や絡まる銀のネックレス  新治
山路に入る高速バス日短し  えこ



当季雑詠

平凡といふ誉め言葉冬ぬくし  明枝
諦むることも勇気か冬の雷  明枝
牛乳を温めてをり秋時雨  走波
老いてよりすべていとほしおけら鳴く  走波
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冬の日に猫はますます丸くなり  進
裏庭の陽のさす角(すみ)に枇杷の花  進
踊り子のつま先で立つ朝寒し  六星
ドヌーブの髪のほつれや秋の昼  六星
何事もなき日が善き日即位の日  下駄麿
ラガーらの影長く曳きノーサイド  下駄麿
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寝そべりて犬は尾を振る日向ぼこ  たつみ
○花梨の実いびつなままで地に落ちる  たつみ
凩が集めてきたるゴミ捨てる  厚子
不器用な生き様笑ふ村時雨  厚子
紅葉色上から下のグラデーション  愛幸
○結婚の記念日に食む秋刀魚寿司  愛幸
露寒し電車をまつ明け番の駅  晶子
くるくると舞い落ち小山となる紅葉  晶子
のんびりと句会してゐる文化の日  茂樹
オレンジの沈む太陽冬ざるる  茂樹
◎障子貼る母の遺せし障子紙  ねむ女
○キッチンの何処で鳴くや鉦叩  ねむ女
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今年米ぽっほぽっほと湯気吹いて  新治
泡立草の繁栄ゆるす里の畑  新治
◎朝寒やポケットの中に手がふたつ  えこ
しぐれ鍋きのこの山のくつくつと  えこ


(句会寸描)

*兼題の「短日」は、下駄麿さんと新治さんが一位を分け合い、雑詠は欠席投句のねむ女さんとえこさんが一位を分け合った。今回は、兼題、雑詠共、欠席投句の方が、圧勝する結果となった。


*兼題 「短日」

◎酒場までおっとり歩く日の短  下駄麿
作者によると、夜が長いので気持ちの余裕を詠まれたようだ。時間の余裕がたっぷりある冬の夜を十二分に楽しみたいという雰囲気も伝わってくる。

◎短日や絡まる銀のネックレス  新治
一見、何の関係もない取り合わせのように見えるが、中七の「絡まる銀の」の「絡まる」に、どこか日が短くなって焦っているような感じがする。それと「金」ではなく「銀のネックレス」も意外と「短日」に合いそうだ。

○ちゃん付けで呼ぶ夫のゐて日短  ねむ女
このような夫婦もおりますねとの感想も出た。ユーモラスで、いつまでも青春のような仲睦まじい夫婦像が読み取れる。「日短」もよく効いている。


*当季雑詠

◎障子貼る母の遺せし障子紙  ねむ女
障子紙を広げながら、あらためて母のことを懐かしく思い出している。お母様が遺された障子紙には、きっと良き思い出がいっぱい詰まっているのに相違ない。

◎朝寒やポケットの中に手がふたつ  えこ
講評では、下五の「手がふたつ」が話題になり、片方の手が「恋人」や「子供」の手だとか色々出てきた。いずれにしても、「朝寒」に対して、「手がふたつ」による手の温もりとの対比が分かりやすく、仲良く寒さをしのいでいる様子も伺える。

○花梨の実いびつなままで地に落ちる  たつみ
「花梨の実」の落ちる様子を見たことはないが、地面に転がっている姿はまさに「いびつ」という言葉がぴったり当てはまる。

○結婚の記念日に食む秋刀魚寿司  愛幸
「結婚の記念日」にいただく食事としての意外性が面白い。「秋刀魚寿司」のイメージから庶民的な店で舌鼓を打つ姿が想像できる。

○キッチンの何処で鳴くや鉦叩  ねむ女
台所仕事が一段落して、「鉦叩」の小気味よい鳴き声が「キッチン」に響いているものと思われる。「鉦叩」の声が聴ける環境が羨ましい。


*次回予定

日時 十二月一日(日)十八時〜二十時 
場所 カモメのばぁばぁ
投句 席題一句と当季雑詠を二句 

     (茂樹 記)



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