レクイエム碑
2017年07月30日
今日は、黒猫亭朋子さんにカモメをみていただいて毎年行かせてもらっている「レクイエム碑」に行ってきました。

今年も益田遙先生の指揮で会場の人も一緒に「ふるさと」を歌いました。
合唱っていいですね。
お隣の方がとてもきれいな歌声だったので「コーラスをしておられるのですか?」とお聞きしたら県外で数年に一度の活動をされていて海外にも歌いに行かれているそうでした。
8月の中国新聞のコラムには今日のことを書きたいと思いますとおっしゃっていたから探さなくては。
また来年も!
昨日はカモメで音楽会
暑い中を沢山のお客様が集まってくださって米村欣子さんの二胡の演奏会がありました。
お友達の変わった中国の瓢箪付の楽器やオカリナも聴かせていただきました。


ありがとうございました。
8月13日、お盆の夜には俳句仲間の下駄麻呂さんが納涼落語会をしてくださるそうです。

出禁亭長話(できんていながばなし)というお名前だと思っていたら、偏屈家出禁(へんくつやできん)さんだそうです。
お暇な方どうぞおこしください。
1ドリンクオーダーです。
最後まで残って聞いてくださった方にはじゃんけんで5名様にプレゼントをくださるそうです!!
おまけのアトムはお出かけしているので、葡萄の写真でも。

ギャラリーの周りにぶら下がっています。
通りすがりにつまんで食べてください。案外おいしいですから。

今年も益田遙先生の指揮で会場の人も一緒に「ふるさと」を歌いました。
合唱っていいですね。
お隣の方がとてもきれいな歌声だったので「コーラスをしておられるのですか?」とお聞きしたら県外で数年に一度の活動をされていて海外にも歌いに行かれているそうでした。
8月の中国新聞のコラムには今日のことを書きたいと思いますとおっしゃっていたから探さなくては。
また来年も!
昨日はカモメで音楽会

暑い中を沢山のお客様が集まってくださって米村欣子さんの二胡の演奏会がありました。
お友達の変わった中国の瓢箪付の楽器やオカリナも聴かせていただきました。


ありがとうございました。
8月13日、お盆の夜には俳句仲間の下駄麻呂さんが納涼落語会をしてくださるそうです。

出禁亭長話(できんていながばなし)というお名前だと思っていたら、偏屈家出禁(へんくつやできん)さんだそうです。
お暇な方どうぞおこしください。
1ドリンクオーダーです。
最後まで残って聞いてくださった方にはじゃんけんで5名様にプレゼントをくださるそうです!!
おまけのアトムはお出かけしているので、葡萄の写真でも。

ギャラリーの周りにぶら下がっています。
通りすがりにつまんで食べてください。案外おいしいですから。
きんこさんの二胡演奏会のお知らせ♬
2017年07月27日
TO YOU
2017年07月26日
to you は、広島市の広報誌です。
毎月たなかさとしさんが表紙のイラストを描いています。

今月号に広島現代美術館で働いているアートナビゲーターが紹介されました。

味噌人も、右端にちょびっと写っていますね。オスカルもおってじゃ。

美術のページには毎月カモメのばぁばぁの作品展の情報も載せていただいています。

益田 遙 先生の指揮による「レクイエム碑」が今年もあります。
7月30日(日) 午後2時開演
広島県民文化センターホール

☆カモメでもチケットをお預かりしています。大人900円です。
今週の火曜日記は、相変わらず神田山荘に行って運動してたらふくご飯食べて夜はフランス語教室でした。
色々頑張りたい気持ちはあるんだけど、8月2日からの四人展があるから気持ちがふわふわで上の空でお話してるこの頃。。。
毎月たなかさとしさんが表紙のイラストを描いています。

今月号に広島現代美術館で働いているアートナビゲーターが紹介されました。

味噌人も、右端にちょびっと写っていますね。オスカルもおってじゃ。

美術のページには毎月カモメのばぁばぁの作品展の情報も載せていただいています。

益田 遙 先生の指揮による「レクイエム碑」が今年もあります。
7月30日(日) 午後2時開演
広島県民文化センターホール

☆カモメでもチケットをお預かりしています。大人900円です。

色々頑張りたい気持ちはあるんだけど、8月2日からの四人展があるから気持ちがふわふわで上の空でお話してるこの頃。。。
もうすぐ九周年~!
2017年07月24日
カモメの開店記念日は、9年前の8月1日でした。
もうすぐ9周年記念です。
みなさまのおかげです!!
例年ですと奇数月の記念日に横川えびす神社をお借りして「かもめ祭」をしていましたが、今年は8月2日からの「わたしたちのひろしま四人展」@カモメのばぁばぁにririも参加の為、来年の10周年の時にまとめてお祝いごとさせてくださいませ。
そのかわり、私たち4人展の会期中の2週間、芸達者な方は良かったらお祝いにきてなにか芸をしてください。
絵を静かに観たい方が居られる時はギャラリー優先なので間をおいてくださいね。
今のところ俳句仲間の下駄麻呂さんこと出禁亭長話さんが夜、怪談落語を、ご近所の田中京子さんが暇なとき、ヴァイオリン演奏を、ナオミール姉妹が練習が間に合えば、二胡とオーボエ二重奏をしてくださるそうです。
ありがとうございます。
8月前半の二週間は、嘉屋重(かやしげ)順子さん、清水司さん、にしもとおさむさん、船本由利子のそれぞれの広島を描きますのでどうぞカモメにお越しください。

先日のもじ展の時に布で描いた文字の携帯バックを展示してくれたオカピーが革ひもをつけてくれました。

兎さんは、遠くのお国のあの方にオカピーからプレゼントみたいです、次里帰りの時にね。
おまけのアトムの海水浴。



もうすぐ9周年記念です。
みなさまのおかげです!!
例年ですと奇数月の記念日に横川えびす神社をお借りして「かもめ祭」をしていましたが、今年は8月2日からの「わたしたちのひろしま四人展」@カモメのばぁばぁにririも参加の為、来年の10周年の時にまとめてお祝いごとさせてくださいませ。
そのかわり、私たち4人展の会期中の2週間、芸達者な方は良かったらお祝いにきてなにか芸をしてください。
絵を静かに観たい方が居られる時はギャラリー優先なので間をおいてくださいね。
今のところ俳句仲間の下駄麻呂さんこと出禁亭長話さんが夜、怪談落語を、ご近所の田中京子さんが暇なとき、ヴァイオリン演奏を、ナオミール姉妹が練習が間に合えば、二胡とオーボエ二重奏をしてくださるそうです。
ありがとうございます。
8月前半の二週間は、嘉屋重(かやしげ)順子さん、清水司さん、にしもとおさむさん、船本由利子のそれぞれの広島を描きますのでどうぞカモメにお越しください。

先日のもじ展の時に布で描いた文字の携帯バックを展示してくれたオカピーが革ひもをつけてくれました。

兎さんは、遠くのお国のあの方にオカピーからプレゼントみたいです、次里帰りの時にね。
おまけのアトムの海水浴。



欣子さんの曼珠沙華。
2017年07月22日
火がついてアチチです。
2017年07月21日
7月のブラアリタと南極の下とか。
2017年07月19日





暑くてもとても楽しかったって、三時間以上、猿猴橋方面を回って帰って来られました。

Photo by さっちゃん
次回は、9月の第4水曜日です。お楽しみに!!
どうしても土日にしてほしい方が居られましたら特別にそういう日時も追加で検討してくださるそうです。
カモメ定休日の火曜日記


血圧が幾らだろうと食欲は落ちんけぇ残念。。これ二回お代わりしてます。

N〇Kの南極の下の深海の世界。すごい~











不思議すぎる!
おまけのアトム

お星さまがいっぱい!
2017年07月16日
もじ展終了~。
2017年07月16日
カモメでは37名もの作家の方々による展覧会は初めてでした。
行き渡らないことも多かったのですが出展された方にも観に来てくださった方にも喜んでいただけたようで一安心です。
表彰式!
金賞は、陶板に「空」と書かれた大田一成さん。


賞品は、タイマッサージのラクシュミーさんのマッサージ券!
銀賞は、南無阿弥陀仏と書いてパパの仏壇に添えて出品のまつおあきさん。


風の通る字を書きたかったそうです。
賞品は、アジア池さんのペアランチ券!
銅賞は、円を書かれたしげのぶともこさん。
円相(えんそう)は、禅における書画のひとつで、図形の丸(円形)を一筆で描いたもの。「一円相(いちえんそう)」「円相図(えんそうず)」などとも呼ばれる。 悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したものとされるが、その解釈は見る人に任される。

賞品は、古本と珈琲の楢さんのペア珈琲券!
8位くらいまでは一票差の僅差の結果でした。
4位につけられた礒根陽水さんには、投票締め切りの13日投函14日着のお葉書が届きました。
事前にネットで投票できなかったのでお手紙が来ますとお聞きしていたので、数に入れています。

きれいな文字ですね、ありがとうございます。
近所の書の好きなおばあちゃんが窓から見える宮武さんの「煩悩具足」に何とも言えず挽きつけられますと入ってこられました。
以前、竹澤丹一さんの本を持ってきてみせてくださった方です。

ご自分の部屋にかけるそうです。嬉しいです!
今回、サビ子さんの作品の老子の言葉のハンコ文字を制作を担当されたやのかおるさんに以前作ってもらったアトムハンコも使いました。かわいい♡

書を生業としている姪っ子も今回参加しまして、いつも不思議な作品があるので楽しみです。
今回は、この謎の古代文字のブローチ。

以前の個展でも謎の動物!

なんだか買いたくなる。。
入賞されたみなさまおめでとうございます!
(それにしてもみなさん軽装!!)
参加してくださった37名のみなさまと暑い中を観に来てくださったり、組織票を入れに来られたお友だちや親戚の方々、ありがとうございました。
またいつか第二回をやりたいですね。
さて、明日からはカモメでは最多個展回数のよねむらきんこさんのステンドグラスの作品展です。

お楽しみに!
行き渡らないことも多かったのですが出展された方にも観に来てくださった方にも喜んでいただけたようで一安心です。
表彰式!
金賞は、陶板に「空」と書かれた大田一成さん。


賞品は、タイマッサージのラクシュミーさんのマッサージ券!

銀賞は、南無阿弥陀仏と書いてパパの仏壇に添えて出品のまつおあきさん。


風の通る字を書きたかったそうです。
賞品は、アジア池さんのペアランチ券!

銅賞は、円を書かれたしげのぶともこさん。
円相(えんそう)は、禅における書画のひとつで、図形の丸(円形)を一筆で描いたもの。「一円相(いちえんそう)」「円相図(えんそうず)」などとも呼ばれる。 悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したものとされるが、その解釈は見る人に任される。

賞品は、古本と珈琲の楢さんのペア珈琲券!

8位くらいまでは一票差の僅差の結果でした。
4位につけられた礒根陽水さんには、投票締め切りの13日投函14日着のお葉書が届きました。
事前にネットで投票できなかったのでお手紙が来ますとお聞きしていたので、数に入れています。

きれいな文字ですね、ありがとうございます。
近所の書の好きなおばあちゃんが窓から見える宮武さんの「煩悩具足」に何とも言えず挽きつけられますと入ってこられました。
以前、竹澤丹一さんの本を持ってきてみせてくださった方です。

ご自分の部屋にかけるそうです。嬉しいです!
今回、サビ子さんの作品の老子の言葉のハンコ文字を制作を担当されたやのかおるさんに以前作ってもらったアトムハンコも使いました。かわいい♡

書を生業としている姪っ子も今回参加しまして、いつも不思議な作品があるので楽しみです。
今回は、この謎の古代文字のブローチ。

以前の個展でも謎の動物!

なんだか買いたくなる。。
入賞されたみなさまおめでとうございます!
(それにしてもみなさん軽装!!)
参加してくださった37名のみなさまと暑い中を観に来てくださったり、組織票を入れに来られたお友だちや親戚の方々、ありがとうございました。
またいつか第二回をやりたいですね。
さて、明日からはカモメでは最多個展回数のよねむらきんこさんのステンドグラスの作品展です。

お楽しみに!
はっぴょう~~!
2017年07月14日
カモメ七夕の競書大会「もじ展」の開票速報!!
1位 (金賞) 大田一成 17票
2位 (銀賞) まつおあき 15票
3位 (銅賞) しげのぶともこ 14票
4位 礒根一晴 13票
5位 宮武裕 12票
6位 木村遊夢 11票
〃 丸町年和 11票
8位 沖野奈々海 10票
〃 陰山明枝 10票
10位 田中奈美 7票
〃 千田 禅 7票
12位 サビ子 6票
〃 戸川幸一郎 6票
〃 林田真弓 6票
〃 船本正行 6票
16位 岩原 麦 5票
〃 栗栖恒久 5票
〃 原 憲男 5票
〃 三浦寿秀 5票
20位 安芸彦 4票
〃 崔華 4票
〃 Rachud 4票
23位~37位 ご自分の作品の得点が知りたい方はご連絡ください。
本日閉店5分前の投票で二位以下は順位が入れ替わったりしました!
ほぼ僅差でしたね。
入賞の方おめでとうございます!
合計投票数 丁度200名様+無効票20枚 (ちびっこが沢山投票に来たので)








最終日の15日(土)の午後3時より表彰式を行いますので、金銀銅賞に輝いた作家の方々と協賛のお店の方々来れたらお越しください!
もじ展は7月15日のpm5時までです。
各作品の販売もしていますのでどうぞお越しください。
参加してくださった37名の作家の方、投票にわざわざ遠方よりお越しくださった方、何度も来てじっくり選んでくださった方、皆様ありがとうございました!!
1位 (金賞) 大田一成 17票
2位 (銀賞) まつおあき 15票
3位 (銅賞) しげのぶともこ 14票
4位 礒根一晴 13票
5位 宮武裕 12票
6位 木村遊夢 11票
〃 丸町年和 11票
8位 沖野奈々海 10票
〃 陰山明枝 10票
10位 田中奈美 7票
〃 千田 禅 7票
12位 サビ子 6票
〃 戸川幸一郎 6票
〃 林田真弓 6票
〃 船本正行 6票
16位 岩原 麦 5票
〃 栗栖恒久 5票
〃 原 憲男 5票
〃 三浦寿秀 5票
20位 安芸彦 4票
〃 崔華 4票
〃 Rachud 4票
23位~37位 ご自分の作品の得点が知りたい方はご連絡ください。
本日閉店5分前の投票で二位以下は順位が入れ替わったりしました!
ほぼ僅差でしたね。
入賞の方おめでとうございます!
合計投票数 丁度200名様+無効票20枚 (ちびっこが沢山投票に来たので)








最終日の15日(土)の午後3時より表彰式を行いますので、金銀銅賞に輝いた作家の方々と協賛のお店の方々来れたらお越しください!
もじ展は7月15日のpm5時までです。
各作品の販売もしていますのでどうぞお越しください。
参加してくださった37名の作家の方、投票にわざわざ遠方よりお越しくださった方、何度も来てじっくり選んでくださった方、皆様ありがとうございました!!
7月のブラ有田のご案内とRachidまたね。
2017年07月13日
5月半ばから
日本にホリデーで来ていたラシードが今朝帰って行った。

これは、十年前のラシードとカズヒ。↑
パディントンのラシードのお姉さんの家に遊びに行った時かな。

長崎のグラバー邸でもらってきたチラシじゃと。

二か月のジャパン滞在でアトムと仲良しになっているね。
ごきげんよう~




7月のブラアリタのお知らせ
7月19日(水) AM10:00 カモメのばぁばぁ集合
暑い時期なので今回は、第三水曜の午前中二時間歩きます。
あんまり暑い時は早めに切り上げるそうです。
雨天決行
参加費 600円(テキスト+1ドリンク)
できればご予約を! 予約なしで急に参加されても大丈夫です。どなたでも!
ブラ有田の七月のレジメです。
(だいおくの鼻→猿猴橋→金屋町→京橋→西国街道→胡子神社)
(1) 松原大元稲荷大明神
・慶安元年(1648)広島日光東照宮造営の時に祀られたと伝える。広島駅中央出口付近にあったが戦後現在地に鎮座。・松原の地名由来:猿猴橋東詰の西国街道との交点から鳥居までの参道筋には約500メートル規模の並木が存在した。神社創建時に参道にはマツが植えられたが、マツ並木は枯れたことにより西国街道側1/3がマツ、残り2/3の神社までがサクラ並木となった。マツ並木は東松原と呼ばれ南区松原町の由来である。サクラおよびマツ並木は江戸時代の天明年間(1795年頃)の地図に記載され参勤交代の際に東照宮に参拝した大名が通った。並木は原爆被爆により全滅した。
(2) だいおくの鼻
・京橋川(古代に西岸を佐伯郡.東岸を安芸郡、中世は佐東郡と安南郡と画し重要な河川)と猿猴川(古来猿猴=河童伝説)の分岐点、通称デビ。台屋町は江戸時代から昭和40年の町名で、町内の浄土宗源光院が開山時に台屋寺と呼ばれたことに始まる(知新集)。京橋町・的場1~2丁目となった。
・京橋雁木群:土木学会から「選奨土木遺産」に認定。裏木戸では日常生活として洗濯や、小舟が雁木の階段から生活物資を陸上げしていた。
(3)秀玉稲荷神社 ・由緒書によると、広島城ができる前から、農耕の守護神として崇敬されていた。1555年ころ京橋川と猿猴川の分岐点の治水用築堤工事、段原比治山新開地に農業用水を引く工事がおこなわれ、その際の事故犠牲者を堤の守護霊として、後に秀れた魂の持ち主という意味で秀玉の神号を奉り祭祀が行われた。
(4)猿猴橋
・最初の架橋は安土桃山時代、広島城下の西国街道に架かり,広島の「東の玄関口」として交通の要衝。大正14年6月に着工された猿猴橋は,鉄筋コンクリート連続桁となり,橋台には地杭52本,橋脚にはケーソン基礎を施工したほか,表面には石張りをあしらい美観にも配慮した。総花崗岩造りの高欄には,巨大な親柱・束柱も備わり照明燈まで内蔵されるという重厚なもの。親柱上に施されたブロンズ製の大鷹や,束柱上のシャンデリア風の電飾燈,高欄には橋名の由来ともなっている,2匹の猿が桃を持ちあう透彫り風のデザインパネルがはめ込まれるなど,絢爛豪華な橋。戦火が激しくなる中,金属回収令によってこれら装飾品は供出され,被爆するものの原形をとどめた。「被爆に耐えた装飾的橋梁」として,平成23年度に土木学会において土木遺産に選奨された。往時の姿を復元しようと、平成20年7月に「猿猴橋復元の会」を発足。寄付金活動を行いながら,広島市に橋の復元を働きかけ,四隅の親柱に設置された、地球儀をつかんで羽ばたく大鷹の像(左写真)と、欄干の桃を掲げる2匹の猿の装飾などが復元された。
(5)浄念寺・浄土宗、寺紋と葵の紋が掲げてある徳川幕府は上野寛永寺(天台宗)と芝増上寺(浄土宗)を鬼門封じにして大切にしたことから広島城下には浄土宗寺院が多く建てられた。浅野藩士・山中権八郎の墓。
(6)妙詠寺 ・顕本法華宗。広島を代表する ツバキ寺。浅野光晟の 乳母だったお好(よしの)局(つぼね)の 菩提寺として 建立され小町にある 本照寺の 住職だった日椿(にっちん)上人が 妙詠寺を開山した。
・近藤芳美(当山先代夫人の甥。広島第二中学校.旧制広島高等学校.東京工大建築科卒。中村憲吉.土屋文明に師事。戦後の歌壇を牽引する歌人として活動、文化功労者に選ばれた。長年「朝日歌壇」(朝日新聞)の選者を務めたことで知られるほか、建築家としての顔も持つ。)歌碑=川浅く なりたる街を 今日も行く 夕べ寂しき 広島の街
(7)法正寺
・真宗大谷派(広島別格本山明信院)・加藤友三郎 }文久3年 (1863)~大正12年(1923)明治大正期の海軍軍人・政治家。広島藩士加藤七郎兵衛(広島藩校学問所教授)の子.兄加藤種之助の養子となり家督相続。藩校・修道館等で学ぶ。明治13年(1880)海軍兵学校卒業,22年海軍大学校卒業。広島県初の総理大臣。日清戦争(1894~95)で「吉野」砲術長として豊島沖海戦などで功績を残す。日露戦争(1904~05)では連合艦隊参謀長として旗艦「三笠」の艦橋にあって日本海海戦(1905)の陣頭指揮に当たった。呉鎮守府司令長官。日本の国力を自覚しワシントン会議では,首席全権として軍縮条約などを締結し英米両国との建艦競争休止に努めた。同郷の船越隆義(船越衛の子)を養子とし家督を譲る。
(8)稲生神社
(創建)元和5年(1619)浅野長晟が勧請 (御祭神)豊受(とようけの)大神(おおかみ):商売繁盛・五穀豊饒 大国主大神:縁結び・家内安全・健康・平癒 稲生武太夫(三次実録物語・稲生物怪録に登場。三次藩御徒歩組に属した武士で後に広島藩士。寛延2年(1749)相撲取りの権八と三次の比熊山での肝試しや百の妖怪話からの妖怪退治で有名。全国を武者修行した))公霊神 :攘災・厄除・勝運・招福 ★享保18年(1733)大火災が発生し周辺で稲生神社と大工・忠七(稲生神社の世話役)の家のみ類焼を免れたことから「火災除け」の神様としても信仰されている。★昔は「稲荷」「稲生」の二つの社があったといわれている。★昨今の妖怪ブームで前述の荒俣宏や京極夏彦、水木しげるも調査に訪れている。
(9)稲荷大橋
・1912年(大正元年)11月に、現在の広島電鉄宇品線の一部となる広島駅前から紙屋町を経由して御幸橋に至る区間が開通。現在地の京橋川に電車専用の「稲荷町鉄橋」が架けられた。当時の主要幹線筋は上流側の京橋であり、車両や歩行者はそちらを渡っていた。1945年(昭和20年)8月6日、原爆被災、爆心地から1.35kmに位置。レールは曲がり枕木は数本焼けたが落橋はせず、下流側の柳橋が落橋してしまったため避難者はここを渡って東方向へ逃げ、橋の下では、無数の死体が浮かぶ川に、水を求める人が殺到した。広電職員などにより復旧工事が行われ、同年12月には本線が全線復旧した。1950年(昭和25年)、戦後最初の電車併用橋として現在のものに架け替えられた。
(10)広寂寺
・開基は教伝(武田刑部少輔信隆末子)が時宗から天文2年(1533)証如上人に帰依し浄土真宗に改宗。武田氏滅亡後、4代願西が明星院村から現在地に本堂を建立。願西は石山合戦で戦死。仏護寺の末寺。6代宗傳が真倉坊から広寂寺に寺名を改めた。・三業惑乱で使用された書物「横超金剛碑」は広寂寺で印刷され全国に配られた。版木は大切に保管されている(知新集)。
(11)京橋
・最初の架橋年度は1591年。広島城開城のころ橋名の由来は、「京都へ続く橋」から命名された。西国街道筋の橋であり、その後国道筋の橋であった。1894年(明治27年)、日清戦争勃発、広島城内に広島大本営が設置され東京から行啓してきた明治天皇は広島駅からこの橋を通り大本営へ入った。金属製の飾りはその後、太平洋戦争中に金属類回収令によって1943年(昭和18年)には取り外され、その後は石造りの本体だけとなったが原子爆弾投下の際にも落橋を免れ現存している。2011年(平成23年)、土木学会選奨土木遺産に選定された。
(12)市杵島神社 ・江戸時代に勧請された。昔は京橋川の西一帯は柳の茂る川辺で「明神の浜」といわれすぐ西の廣教寺の境内社として栄えた。宗像三女神。厳島神社「管弦祭」と同時に奉斉を行なわれ、管弦祭に行く御供船と護岸上の提灯の灯明が川辺に映えた。・明治時代には芝居小屋「明神座」が置かれ広島駅前の松原繁華街とともに栄えていた。
(13)石見町西国街道道標
・江戸時代、城下新町組「岩見屋町」とも言われた。毛利氏時代は武家屋敷、浅野氏入国の頃は町屋となった(知新集)。「石見町」の道標に矢印がつけられ西国街道が方向を変えたことを示している。
(14)ウエセン・昭和9年頃、上仙製作所が創業60周年を迎え店舗を建て替え、赤ちゃんの栄養素「米の母ちち粉」を新発売したとある。
(15)広島藩牢屋敷 市中の牢舎((イ)油屋町: 現在の広島市中区十日市町一丁目、猫屋町、本川町一丁目または(ロ)中島地方町: 広島市中島新町から(ハ)上流川町内西側(西牢): 白島通りを越えた八丁堀側へ移転した。三越辺り)と②城内の牢舎(三の丸牢=第三郭南門内の西側: 現在の「ひろしま美術館」がある敷地の一角だと思われる。)の二つに分かれていたと思われる。『広島県史 近世1』『新修広島市史 第3巻』
(16)仏壇通り 元和5年(1619)紀州から浅野長晟が広島に入封の折、隋従してきた職人41名の中に位牌細工師・絵物細工師等が含まれてこれらの職人が仏壇製造に生かされた。享保元年(1716)藩主に男子誕生を明星院に祈願堂を建立し明星院の僧が京都・大阪で高度な仏壇仏具の製造技術を学んで帰り地元の工匠に製造させ技術が確立した(三村松ホームページ)。
(17)胡子神社
・御祭神は蛭子(ひるこ)神・事代主神・大江広元公(毛利家の始祖)の三柱が三位一体となったえびす神としてお祀りされ、商いを営む人だけでなく、福の神として多くの人々に崇敬されている。江戸時代の広島城下町に、東引御堂町・西引御堂町という町があり東引御堂町は現在の中区胡町・銀山町・堀川町一帯を、西引御堂町は現在の中区十日市町・広瀬町一帯を指す町名である。広島藩が編纂した「知新集」では、慶 長8年(1603))町の年寄役銭屋又兵衛と大年寄松屋太郎右衛門が、吉田の胡堂に祀られていたえびす神を現在の地に勧請したのが創始といわれる。西引御堂町から分離して東引御堂町と胡町(現在の中区胡町)が城下南東に成立して市の町となったとされ、東西の引御堂町はもともと西引御堂町の位置に一つの町として存在したことがわかる。「えびす講」で知られる中区胡町の胡子神社は、江戸
時代には西光寺という寺の中にある神社で、胡堂と呼ばれた。西光寺と胡堂は、毛利氏の時代、高田郡吉田(現在の安芸高田市吉田町)から高宮郡古市(現在の安佐南区古市。江戸時代の村名は中筋古市村)へ、その後さらに城下の西引御堂町へ移転し、福島氏の時代に胡町に移動したとされる。えびす様を祀る神社に関しては、中世において市が立てられる際、市の商工業者等によって市神として勧 請 されることが多く、当時の人々にとって市とは神を招いた特別な場であり、市神を中心とした一定の区域が市の範囲になったことなどが指摘されている。東引御堂町・胡町の場合も、新たな市の町を成立させるにあたり、町人が西引御堂町から西光寺・胡堂を移転したことが考えられる。 (しろうや広島城より)
(参考文献 広島歴史街道散策くらぶ散策メモ よしじま歴史散歩くらぶ散策メモ 瀬戸内歴史散歩 文責 有田 篤雄)
おまけのアトム






パディントンのラシードのお姉さんの家に遊びに行った時かな。

長崎のグラバー邸でもらってきたチラシじゃと。

二か月のジャパン滞在でアトムと仲良しになっているね。
ごきげんよう~






7月19日(水) AM10:00 カモメのばぁばぁ集合
暑い時期なので今回は、第三水曜の午前中二時間歩きます。

雨天決行

参加費 600円(テキスト+1ドリンク)
できればご予約を! 予約なしで急に参加されても大丈夫です。どなたでも!
ブラ有田の七月のレジメです。
(だいおくの鼻→猿猴橋→金屋町→京橋→西国街道→胡子神社)
(1) 松原大元稲荷大明神
・慶安元年(1648)広島日光東照宮造営の時に祀られたと伝える。広島駅中央出口付近にあったが戦後現在地に鎮座。・松原の地名由来:猿猴橋東詰の西国街道との交点から鳥居までの参道筋には約500メートル規模の並木が存在した。神社創建時に参道にはマツが植えられたが、マツ並木は枯れたことにより西国街道側1/3がマツ、残り2/3の神社までがサクラ並木となった。マツ並木は東松原と呼ばれ南区松原町の由来である。サクラおよびマツ並木は江戸時代の天明年間(1795年頃)の地図に記載され参勤交代の際に東照宮に参拝した大名が通った。並木は原爆被爆により全滅した。
(2) だいおくの鼻
・京橋川(古代に西岸を佐伯郡.東岸を安芸郡、中世は佐東郡と安南郡と画し重要な河川)と猿猴川(古来猿猴=河童伝説)の分岐点、通称デビ。台屋町は江戸時代から昭和40年の町名で、町内の浄土宗源光院が開山時に台屋寺と呼ばれたことに始まる(知新集)。京橋町・的場1~2丁目となった。
・京橋雁木群:土木学会から「選奨土木遺産」に認定。裏木戸では日常生活として洗濯や、小舟が雁木の階段から生活物資を陸上げしていた。
(3)秀玉稲荷神社 ・由緒書によると、広島城ができる前から、農耕の守護神として崇敬されていた。1555年ころ京橋川と猿猴川の分岐点の治水用築堤工事、段原比治山新開地に農業用水を引く工事がおこなわれ、その際の事故犠牲者を堤の守護霊として、後に秀れた魂の持ち主という意味で秀玉の神号を奉り祭祀が行われた。
(4)猿猴橋
・最初の架橋は安土桃山時代、広島城下の西国街道に架かり,広島の「東の玄関口」として交通の要衝。大正14年6月に着工された猿猴橋は,鉄筋コンクリート連続桁となり,橋台には地杭52本,橋脚にはケーソン基礎を施工したほか,表面には石張りをあしらい美観にも配慮した。総花崗岩造りの高欄には,巨大な親柱・束柱も備わり照明燈まで内蔵されるという重厚なもの。親柱上に施されたブロンズ製の大鷹や,束柱上のシャンデリア風の電飾燈,高欄には橋名の由来ともなっている,2匹の猿が桃を持ちあう透彫り風のデザインパネルがはめ込まれるなど,絢爛豪華な橋。戦火が激しくなる中,金属回収令によってこれら装飾品は供出され,被爆するものの原形をとどめた。「被爆に耐えた装飾的橋梁」として,平成23年度に土木学会において土木遺産に選奨された。往時の姿を復元しようと、平成20年7月に「猿猴橋復元の会」を発足。寄付金活動を行いながら,広島市に橋の復元を働きかけ,四隅の親柱に設置された、地球儀をつかんで羽ばたく大鷹の像(左写真)と、欄干の桃を掲げる2匹の猿の装飾などが復元された。
(5)浄念寺・浄土宗、寺紋と葵の紋が掲げてある徳川幕府は上野寛永寺(天台宗)と芝増上寺(浄土宗)を鬼門封じにして大切にしたことから広島城下には浄土宗寺院が多く建てられた。浅野藩士・山中権八郎の墓。
(6)妙詠寺 ・顕本法華宗。広島を代表する ツバキ寺。浅野光晟の 乳母だったお好(よしの)局(つぼね)の 菩提寺として 建立され小町にある 本照寺の 住職だった日椿(にっちん)上人が 妙詠寺を開山した。
・近藤芳美(当山先代夫人の甥。広島第二中学校.旧制広島高等学校.東京工大建築科卒。中村憲吉.土屋文明に師事。戦後の歌壇を牽引する歌人として活動、文化功労者に選ばれた。長年「朝日歌壇」(朝日新聞)の選者を務めたことで知られるほか、建築家としての顔も持つ。)歌碑=川浅く なりたる街を 今日も行く 夕べ寂しき 広島の街
(7)法正寺
・真宗大谷派(広島別格本山明信院)・加藤友三郎 }文久3年 (1863)~大正12年(1923)明治大正期の海軍軍人・政治家。広島藩士加藤七郎兵衛(広島藩校学問所教授)の子.兄加藤種之助の養子となり家督相続。藩校・修道館等で学ぶ。明治13年(1880)海軍兵学校卒業,22年海軍大学校卒業。広島県初の総理大臣。日清戦争(1894~95)で「吉野」砲術長として豊島沖海戦などで功績を残す。日露戦争(1904~05)では連合艦隊参謀長として旗艦「三笠」の艦橋にあって日本海海戦(1905)の陣頭指揮に当たった。呉鎮守府司令長官。日本の国力を自覚しワシントン会議では,首席全権として軍縮条約などを締結し英米両国との建艦競争休止に努めた。同郷の船越隆義(船越衛の子)を養子とし家督を譲る。
(8)稲生神社
(創建)元和5年(1619)浅野長晟が勧請 (御祭神)豊受(とようけの)大神(おおかみ):商売繁盛・五穀豊饒 大国主大神:縁結び・家内安全・健康・平癒 稲生武太夫(三次実録物語・稲生物怪録に登場。三次藩御徒歩組に属した武士で後に広島藩士。寛延2年(1749)相撲取りの権八と三次の比熊山での肝試しや百の妖怪話からの妖怪退治で有名。全国を武者修行した))公霊神 :攘災・厄除・勝運・招福 ★享保18年(1733)大火災が発生し周辺で稲生神社と大工・忠七(稲生神社の世話役)の家のみ類焼を免れたことから「火災除け」の神様としても信仰されている。★昔は「稲荷」「稲生」の二つの社があったといわれている。★昨今の妖怪ブームで前述の荒俣宏や京極夏彦、水木しげるも調査に訪れている。
(9)稲荷大橋
・1912年(大正元年)11月に、現在の広島電鉄宇品線の一部となる広島駅前から紙屋町を経由して御幸橋に至る区間が開通。現在地の京橋川に電車専用の「稲荷町鉄橋」が架けられた。当時の主要幹線筋は上流側の京橋であり、車両や歩行者はそちらを渡っていた。1945年(昭和20年)8月6日、原爆被災、爆心地から1.35kmに位置。レールは曲がり枕木は数本焼けたが落橋はせず、下流側の柳橋が落橋してしまったため避難者はここを渡って東方向へ逃げ、橋の下では、無数の死体が浮かぶ川に、水を求める人が殺到した。広電職員などにより復旧工事が行われ、同年12月には本線が全線復旧した。1950年(昭和25年)、戦後最初の電車併用橋として現在のものに架け替えられた。
(10)広寂寺
・開基は教伝(武田刑部少輔信隆末子)が時宗から天文2年(1533)証如上人に帰依し浄土真宗に改宗。武田氏滅亡後、4代願西が明星院村から現在地に本堂を建立。願西は石山合戦で戦死。仏護寺の末寺。6代宗傳が真倉坊から広寂寺に寺名を改めた。・三業惑乱で使用された書物「横超金剛碑」は広寂寺で印刷され全国に配られた。版木は大切に保管されている(知新集)。
(11)京橋
・最初の架橋年度は1591年。広島城開城のころ橋名の由来は、「京都へ続く橋」から命名された。西国街道筋の橋であり、その後国道筋の橋であった。1894年(明治27年)、日清戦争勃発、広島城内に広島大本営が設置され東京から行啓してきた明治天皇は広島駅からこの橋を通り大本営へ入った。金属製の飾りはその後、太平洋戦争中に金属類回収令によって1943年(昭和18年)には取り外され、その後は石造りの本体だけとなったが原子爆弾投下の際にも落橋を免れ現存している。2011年(平成23年)、土木学会選奨土木遺産に選定された。
(12)市杵島神社 ・江戸時代に勧請された。昔は京橋川の西一帯は柳の茂る川辺で「明神の浜」といわれすぐ西の廣教寺の境内社として栄えた。宗像三女神。厳島神社「管弦祭」と同時に奉斉を行なわれ、管弦祭に行く御供船と護岸上の提灯の灯明が川辺に映えた。・明治時代には芝居小屋「明神座」が置かれ広島駅前の松原繁華街とともに栄えていた。
(13)石見町西国街道道標
・江戸時代、城下新町組「岩見屋町」とも言われた。毛利氏時代は武家屋敷、浅野氏入国の頃は町屋となった(知新集)。「石見町」の道標に矢印がつけられ西国街道が方向を変えたことを示している。
(14)ウエセン・昭和9年頃、上仙製作所が創業60周年を迎え店舗を建て替え、赤ちゃんの栄養素「米の母ちち粉」を新発売したとある。
(15)広島藩牢屋敷 市中の牢舎((イ)油屋町: 現在の広島市中区十日市町一丁目、猫屋町、本川町一丁目または(ロ)中島地方町: 広島市中島新町から(ハ)上流川町内西側(西牢): 白島通りを越えた八丁堀側へ移転した。三越辺り)と②城内の牢舎(三の丸牢=第三郭南門内の西側: 現在の「ひろしま美術館」がある敷地の一角だと思われる。)の二つに分かれていたと思われる。『広島県史 近世1』『新修広島市史 第3巻』
(16)仏壇通り 元和5年(1619)紀州から浅野長晟が広島に入封の折、隋従してきた職人41名の中に位牌細工師・絵物細工師等が含まれてこれらの職人が仏壇製造に生かされた。享保元年(1716)藩主に男子誕生を明星院に祈願堂を建立し明星院の僧が京都・大阪で高度な仏壇仏具の製造技術を学んで帰り地元の工匠に製造させ技術が確立した(三村松ホームページ)。
(17)胡子神社
・御祭神は蛭子(ひるこ)神・事代主神・大江広元公(毛利家の始祖)の三柱が三位一体となったえびす神としてお祀りされ、商いを営む人だけでなく、福の神として多くの人々に崇敬されている。江戸時代の広島城下町に、東引御堂町・西引御堂町という町があり東引御堂町は現在の中区胡町・銀山町・堀川町一帯を、西引御堂町は現在の中区十日市町・広瀬町一帯を指す町名である。広島藩が編纂した「知新集」では、慶 長8年(1603))町の年寄役銭屋又兵衛と大年寄松屋太郎右衛門が、吉田の胡堂に祀られていたえびす神を現在の地に勧請したのが創始といわれる。西引御堂町から分離して東引御堂町と胡町(現在の中区胡町)が城下南東に成立して市の町となったとされ、東西の引御堂町はもともと西引御堂町の位置に一つの町として存在したことがわかる。「えびす講」で知られる中区胡町の胡子神社は、江戸
時代には西光寺という寺の中にある神社で、胡堂と呼ばれた。西光寺と胡堂は、毛利氏の時代、高田郡吉田(現在の安芸高田市吉田町)から高宮郡古市(現在の安佐南区古市。江戸時代の村名は中筋古市村)へ、その後さらに城下の西引御堂町へ移転し、福島氏の時代に胡町に移動したとされる。えびす様を祀る神社に関しては、中世において市が立てられる際、市の商工業者等によって市神として勧 請 されることが多く、当時の人々にとって市とは神を招いた特別な場であり、市神を中心とした一定の区域が市の範囲になったことなどが指摘されている。東引御堂町・胡町の場合も、新たな市の町を成立させるにあたり、町人が西引御堂町から西光寺・胡堂を移転したことが考えられる。 (しろうや広島城より)
(参考文献 広島歴史街道散策くらぶ散策メモ よしじま歴史散歩くらぶ散策メモ 瀬戸内歴史散歩 文責 有田 篤雄)
おまけのアトム


やっちゃんと遊んだ火曜日記。
2017年07月12日
鳥取のやっちゃんがやってきた!

山のジムに行くバスに乗り遅れ(私がやっちゃんに間違えたバス時間をゆうてしまったため)、ご近所の奥様に送ってもらってラッキー!
またまたジムと屋外プールを楽しんで美味しいサラダバーでランチしてきました。
それからやっちゃんは、旧日銀のサヲリのイベント会場へお手伝いに。
ririは、旧置傘くんこと昌一郎君と晶子さん夫妻の作品展に。

赤ちゃんが生まれる前に良い記念ですね。

三越一階の石田敦子さんのバッグやアクセサリー、アートしていました。

ジムの帰りには、こふじもちにより道します、時々。
気になっていた氷ショコラがねとても美味しかったですよー。

定休日の今夜はカモメではマダム京子のフランス語教室があって、その後近所で食事会してたらラシードが帰ってきて、フランス語と英語と日本語の混ざった会話が弾んで急遽楽しいラストパーティになりました。
それから皆さんにもらった思い出を詰め込んでパッキングしているラシード氏。
明日の夜成田からパリへ発つそうです。

山のジムに行くバスに乗り遅れ(私がやっちゃんに間違えたバス時間をゆうてしまったため)、ご近所の奥様に送ってもらってラッキー!
またまたジムと屋外プールを楽しんで美味しいサラダバーでランチしてきました。
それからやっちゃんは、旧日銀のサヲリのイベント会場へお手伝いに。
ririは、旧置傘くんこと昌一郎君と晶子さん夫妻の作品展に。

赤ちゃんが生まれる前に良い記念ですね。

三越一階の石田敦子さんのバッグやアクセサリー、アートしていました。

ジムの帰りには、こふじもちにより道します、時々。
気になっていた氷ショコラがねとても美味しかったですよー。

定休日の今夜はカモメではマダム京子のフランス語教室があって、その後近所で食事会してたらラシードが帰ってきて、フランス語と英語と日本語の混ざった会話が弾んで急遽楽しいラストパーティになりました。
それから皆さんにもらった思い出を詰め込んでパッキングしているラシード氏。
明日の夜成田からパリへ発つそうです。
37通りのもじ展。
2017年07月10日
フェイスブック(船本由利子)では、SNSをしておられない方から作品をご紹介しています。

「むりょうじゅ」の意味が分からないからググってみました。
無量寿とは仏の救いの時間的無限性をあらわし、
無量光とは 空間的な無辺性をあらわしており
時間的空間的な限定を超えて、あらゆる衆生を漏らさず
救う仏という名であるといわれます。
親鸞聖人は、「摂取して捨てざれば 阿弥陀と名づけたてまつる」
と言われます。
この書は、厚紙の整理をしていたら隙間から出てきた天国の父の昔書いたと思われる書です。
せっかくだから展示して、1500円の値段をつけたら初日にお買い上げくださった方が居られて「お父ちゃん小遣いありがとう。」です。
投票は、36番です。

これは、カモメでは二度の作品展をされている画家の三浦寿秀さんの書です。
「希」という文字です。
来年三月後半にも三浦さんの個展がありますのでお楽しみに。
この作品は、もし欲しい方が居られたら幾らで買われますかとお聞きして、そこからカモメの15%を引いたお金をその方に返してくださいと言われまして、作家さんは、そのお気持ちだけをいただきますということでした。
なんと素敵じゃ!
投票は、12番です。
おまけのアトム

オットセイみたいじゃ。

「むりょうじゅ」の意味が分からないからググってみました。
無量寿とは仏の救いの時間的無限性をあらわし、
無量光とは 空間的な無辺性をあらわしており
時間的空間的な限定を超えて、あらゆる衆生を漏らさず
救う仏という名であるといわれます。
親鸞聖人は、「摂取して捨てざれば 阿弥陀と名づけたてまつる」
と言われます。
この書は、厚紙の整理をしていたら隙間から出てきた天国の父の昔書いたと思われる書です。
せっかくだから展示して、1500円の値段をつけたら初日にお買い上げくださった方が居られて「お父ちゃん小遣いありがとう。」です。
投票は、36番です。

これは、カモメでは二度の作品展をされている画家の三浦寿秀さんの書です。
「希」という文字です。
来年三月後半にも三浦さんの個展がありますのでお楽しみに。
この作品は、もし欲しい方が居られたら幾らで買われますかとお聞きして、そこからカモメの15%を引いたお金をその方に返してくださいと言われまして、作家さんは、そのお気持ちだけをいただきますということでした。
なんと素敵じゃ!
投票は、12番です。
おまけのアトム

オットセイみたいじゃ。
茂樹さんの句会報、七月。
2017年07月07日
カモメのばぁばぁ「夜の美術館」句会報 第三十五号(平成二十九年七月)
七月二日(日)、梅雨明けが待ち遠しいが今日もぐずついた天気となった。moji展の会場をお借りして、関東から久しぶりの参加となったりう子さんを含め十二名(うち、かかしさんは欠席投句)の参加者で六時過ぎに、いつものように始まった。
(◎印は高点句、◯印は次点句 ○○○は原句修正箇所)

席題「夕」 (清記逆順列記)
夕焼けやジブリのごとき筆運び 華院
湯上がりの浴衣の君の夕化粧 幸音
たどり着き夕暮れ文月風通る 咲華
〇夕凪や大の字になるネコのへそ 六星
夕虹は仏縁深き半円形 風外
◎夕ざれて二合ばかりと冷奴 下駄麿
〇夕餉まで噴井にあそぶ瓜トマト 麦
夕凪の風を待ちをるヨットマン 走波
夕凪の耐えがたき想ひに叫び出す りう子
◎夕虹は仕舞ひ忘れし神の櫛 志路
○夕張へ黄のハンカチを携へて 茂樹
雑詠(晩夏)
ひと思ひあまく弾けるトマトかな 華院
清らかな小川に浸けたトマトの赤 幸音
葉を広げ白い羽根つけ半夏生 咲華
打ち上がれ材木港の夏夜空 六星
刺あたり青山椒に香見る 風外
まとまらぬ芋のガレット梅雨じめり 下駄麿
真中に星いだきたる牽牛花 麦
夏の野菜パッチワークとワンディッシュ 走波
旅先の空気重たし晩夏光 りう子
◎砂日傘罪なき浜を突き刺しぬ 志路
○向日葵の咲き初み我が家向いてゐる 茂樹
額の花里を想ひて色を染む かかし
(句会寸描)
*席題「夕」は志路さんと下駄麿さんが一位を分け合った。雑詠「晩夏」は志路さんの圧勝となり、まさに志路さんの独壇場となった。高点句などは、いずれも物に託すか、作者なりのひねりを加えて表現しているのに対して、それ以外の句は報告や説明調の句や感情移入し過ぎている句が目立った。言わぬが花と申しますが、感情を抑えて物に託した、ただの報告に終わらないひねりの効いた句を心掛けたい。
*席題「夕」
◎夕ざれて二合ばかりと冷奴 下駄麿
無駄なことは一切言わず、「二号ばかりと冷奴」で冷奴を肴にちびちびと酒を飲んでいる男の姿が目に浮かぶ。上五の「夕ざれて」も仕事帰りの一段落している様子が伝わってきて効果的である。
◎夕虹は仕舞ひ忘れし神の櫛 志路
この作者は当句会の若手であるが、名乗りを聞いて一同驚きの声が上がった。三十分そこそこの短い時間に「夕虹」を「仕舞ひ忘れし神の櫛」と捉えたのは日頃の鍛錬の賜物であろう。今後の益々の活躍を期待したい。
〇夕凪や大の字になるネコのへそ 六星
「大の字になるネコのへそ」という大げさな表現が「夕凪」とよく絡み合って雰囲気がにじみ出ている。ユーモラスな情景も目に浮かぶ。ただ、「ネコのへそ」の「ネコ」は漢字の「猫」にしたい。

〇夕餉まで噴井にあそぶ瓜トマト 麦
「夕」という題から「噴井」という季語を見つけ出したのは、作者の感性であろう。「噴井」の中で冷やされている瑞々しい瓜やトマトの様子がよく伝わってくる。季重なりではあるが、あくまで「噴井」の方が主体であるので気にならない。
○夕張へ黄のハンカチを携えて 茂樹
「夕張」という地名を持ってきて「黄のハンカチ」と取り合わせが、あの「幸福の黄色いハンカチ」を連想させるが、かえって常套的でありきたりな感じがする。
*雑詠(晩夏)
◎砂日傘罪なき浜を突き刺しぬ 志路
ぱっとみて、あの石原裕次郎の「錆びたナイフ」を思い出した。ビーチパラソルを作者なりに詩情を交えて大胆に詠んでいるが、感情に走り過ぎている感もある。
○向日葵の咲き初み我が家向いてゐる 茂樹
「向日葵」は、その漢字から太陽の向きに合わせて首を振っている感じがするが、実際のところはほぼ同じ方向を向いている。そんな向日葵が偶然にも、我が家を向いていたのが不思議でもあり、嬉しくもなった。
*次回予定
日時 八月六日(日)十八時~二十時
場所 カモメのばぁばぁ
投句 兼題「盆一切」と雑詠(初秋)を一句ずつ
(茂樹 記)
七月も楽しい句会でした。
どなたでもご参加ください。
会費 200円と1ドリンクオーダー400円をお願いします。
七月二日(日)、梅雨明けが待ち遠しいが今日もぐずついた天気となった。moji展の会場をお借りして、関東から久しぶりの参加となったりう子さんを含め十二名(うち、かかしさんは欠席投句)の参加者で六時過ぎに、いつものように始まった。
(◎印は高点句、◯印は次点句 ○○○は原句修正箇所)

席題「夕」 (清記逆順列記)
夕焼けやジブリのごとき筆運び 華院
湯上がりの浴衣の君の夕化粧 幸音
たどり着き夕暮れ文月風通る 咲華
〇夕凪や大の字になるネコのへそ 六星
夕虹は仏縁深き半円形 風外
◎夕ざれて二合ばかりと冷奴 下駄麿
〇夕餉まで噴井にあそぶ瓜トマト 麦
夕凪の風を待ちをるヨットマン 走波
夕凪の耐えがたき想ひに叫び出す りう子
◎夕虹は仕舞ひ忘れし神の櫛 志路
○夕張へ黄のハンカチを携へて 茂樹
雑詠(晩夏)
ひと思ひあまく弾けるトマトかな 華院
清らかな小川に浸けたトマトの赤 幸音
葉を広げ白い羽根つけ半夏生 咲華
打ち上がれ材木港の夏夜空 六星
刺あたり青山椒に香見る 風外
まとまらぬ芋のガレット梅雨じめり 下駄麿
真中に星いだきたる牽牛花 麦
夏の野菜パッチワークとワンディッシュ 走波
旅先の空気重たし晩夏光 りう子
◎砂日傘罪なき浜を突き刺しぬ 志路
○向日葵の咲き初み我が家向いてゐる 茂樹
額の花里を想ひて色を染む かかし
(句会寸描)
*席題「夕」は志路さんと下駄麿さんが一位を分け合った。雑詠「晩夏」は志路さんの圧勝となり、まさに志路さんの独壇場となった。高点句などは、いずれも物に託すか、作者なりのひねりを加えて表現しているのに対して、それ以外の句は報告や説明調の句や感情移入し過ぎている句が目立った。言わぬが花と申しますが、感情を抑えて物に託した、ただの報告に終わらないひねりの効いた句を心掛けたい。
*席題「夕」
◎夕ざれて二合ばかりと冷奴 下駄麿
無駄なことは一切言わず、「二号ばかりと冷奴」で冷奴を肴にちびちびと酒を飲んでいる男の姿が目に浮かぶ。上五の「夕ざれて」も仕事帰りの一段落している様子が伝わってきて効果的である。
◎夕虹は仕舞ひ忘れし神の櫛 志路
この作者は当句会の若手であるが、名乗りを聞いて一同驚きの声が上がった。三十分そこそこの短い時間に「夕虹」を「仕舞ひ忘れし神の櫛」と捉えたのは日頃の鍛錬の賜物であろう。今後の益々の活躍を期待したい。
〇夕凪や大の字になるネコのへそ 六星
「大の字になるネコのへそ」という大げさな表現が「夕凪」とよく絡み合って雰囲気がにじみ出ている。ユーモラスな情景も目に浮かぶ。ただ、「ネコのへそ」の「ネコ」は漢字の「猫」にしたい。

〇夕餉まで噴井にあそぶ瓜トマト 麦
「夕」という題から「噴井」という季語を見つけ出したのは、作者の感性であろう。「噴井」の中で冷やされている瑞々しい瓜やトマトの様子がよく伝わってくる。季重なりではあるが、あくまで「噴井」の方が主体であるので気にならない。
○夕張へ黄のハンカチを携えて 茂樹
「夕張」という地名を持ってきて「黄のハンカチ」と取り合わせが、あの「幸福の黄色いハンカチ」を連想させるが、かえって常套的でありきたりな感じがする。
*雑詠(晩夏)
◎砂日傘罪なき浜を突き刺しぬ 志路
ぱっとみて、あの石原裕次郎の「錆びたナイフ」を思い出した。ビーチパラソルを作者なりに詩情を交えて大胆に詠んでいるが、感情に走り過ぎている感もある。
○向日葵の咲き初み我が家向いてゐる 茂樹
「向日葵」は、その漢字から太陽の向きに合わせて首を振っている感じがするが、実際のところはほぼ同じ方向を向いている。そんな向日葵が偶然にも、我が家を向いていたのが不思議でもあり、嬉しくもなった。
*次回予定
日時 八月六日(日)十八時~二十時
場所 カモメのばぁばぁ
投句 兼題「盆一切」と雑詠(初秋)を一句ずつ
(茂樹 記)

どなたでもご参加ください。
会費 200円と1ドリンクオーダー400円をお願いします。
島々清しゃ (しまじまかいしゃ)、火曜日記。
2017年07月05日
だいたい火曜日の定休日は山のジムで運動してくるんだけど、ももばあばさんが映画の紹介してたから観たくて山のジムはさぼってサロンシネマで沖縄が舞台の「島々清しゃ」観てきた。

「生きてるだけでだいたい80点さー。」
サロンシネマでは、7月7日まで、しかも朝10時からだからみなさん行けないかなぁ。
それからHらさんと素うどん食べて、K太郎さんお友達の初ザライフ体験して足がくさくならない靴下を買いました。快適!
その後、高田トシアキさんのモノクロ写真みて写真ってすごいなって思って、美術館で縮景園の葉っぱ見ながらくつろいでからカープに行って「雲がきれいだなー。」って思って良い休日でした。
ちなみに、O田夫妻やM野夫妻も夕べズムスタに居ったらしい。
おまけのアトム

朝、オープン時間にririがギャラリーに降りて来るとスタンバイして看板犬やる気満々の今朝のアトム。

「生きてるだけでだいたい80点さー。」
サロンシネマでは、7月7日まで、しかも朝10時からだからみなさん行けないかなぁ。
それからHらさんと素うどん食べて、K太郎さんお友達の初ザライフ体験して足がくさくならない靴下を買いました。快適!
その後、高田トシアキさんのモノクロ写真みて写真ってすごいなって思って、美術館で縮景園の葉っぱ見ながらくつろいでからカープに行って「雲がきれいだなー。」って思って良い休日でした。
ちなみに、O田夫妻やM野夫妻も夕べズムスタに居ったらしい。
おまけのアトム

朝、オープン時間にririがギャラリーに降りて来るとスタンバイして看板犬やる気満々の今朝のアトム。
もじ展
2017年07月04日
おとうさん、今日も暑いです。(朝ドラ観てない人には何のことやらですが。)
暑い中をカモメ七夕競書大会「もじ展」にお越しくださってありがとうございます。
カモメのばぁばぁに来れない方の為に作品をとりあえず載せてみます。
37名分もあるので画像小さいから見えにくいと思うので大きく見たい作品があればリクエストください。

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おひとり一回一票でよろしくお願いします。
おまけのアトム

マカロン食べたん。(犬用)美味しかったん!!!
ありがとう
暑い中をカモメ七夕競書大会「もじ展」にお越しくださってありがとうございます。

カモメのばぁばぁに来れない方の為に作品をとりあえず載せてみます。
37名分もあるので画像小さいから見えにくいと思うので大きく見たい作品があればリクエストください。

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遠方の方、このブログまたはフェイスブックでも投票していただいてもOKです。
おひとり一回一票でよろしくお願いします。
おまけのアトム

マカロン食べたん。(犬用)美味しかったん!!!
ありがとう

投票に来てください!!
2017年07月03日
暑いですねー!
カモメのばぁばぁの七月前半は、数年前から場所を空けといた企画の、カモメ七夕の競書大会「もじ展」です。
三十七名のアーティストの方々のそれぞれの文字をテーマとした作品が展示されています。
フランスから来ているラシードも参加しています。

三本の川は、広島と長崎の川とセーヌ川を表していて、禅の心で愛と平和を願っているのだそうです。
いつもの陽気なラシードとはイメージが違いますね。
今日は高知に行って絵美ちゃんに案内してもらったらしいです。
絵美ちゃんありがとう、平安な時間じゃった!

お客様に投票していただいて得点の多い作品に金賞・銀賞・銅賞の賞品があります。
ハンブルグから参加してくれたヘルブラウさんや遠方の方や会場に足を運べない方もいらっしゃるので、ブログで作品の写真を載せてネット投票もありにしますね。写真は少々お待ちください。
今日は月に一度の茂樹さんの俳句会の日でした。
二句のうち一句は席題(当日に題を決めて即作る。)だったので、あたふたして写真を撮る余裕もなかったです。
末席ながら参加するから偉いぞ私!です。
内容は後日、お楽しみに~!!

カモメのばぁばぁの七月前半は、数年前から場所を空けといた企画の、カモメ七夕の競書大会「もじ展」です。
三十七名のアーティストの方々のそれぞれの文字をテーマとした作品が展示されています。
フランスから来ているラシードも参加しています。

三本の川は、広島と長崎の川とセーヌ川を表していて、禅の心で愛と平和を願っているのだそうです。
いつもの陽気なラシードとはイメージが違いますね。
今日は高知に行って絵美ちゃんに案内してもらったらしいです。
絵美ちゃんありがとう、平安な時間じゃった!

お客様に投票していただいて得点の多い作品に金賞・銀賞・銅賞の賞品があります。
ハンブルグから参加してくれたヘルブラウさんや遠方の方や会場に足を運べない方もいらっしゃるので、ブログで作品の写真を載せてネット投票もありにしますね。写真は少々お待ちください。
今日は月に一度の茂樹さんの俳句会の日でした。
二句のうち一句は席題(当日に題を決めて即作る。)だったので、あたふたして写真を撮る余裕もなかったです。
末席ながら参加するから偉いぞ私!です。
内容は後日、お楽しみに~!!
菜月@鴎
2017年07月01日
6月のはなうた・・・・いかがでしたでしょうか?


Natsuki Hara solo exhibition
梅雨時の作品展でしたが爽やかな風の通っていくようななっちゃんの作品に囲まれた二週間でした。
高校・大学・職場のお友達や先輩後輩も毎日きてくださいました。
ありがとうございました。
明日からはカモメ七夕の競書「もじ展」がはじまります。
今夜は35人分の作品がカモメにかかりました。
大きな作品の方もおられれば小さな石ころの方や、棚の下の方に展示された方もおられて案外とぎゅうぎゅうでなく上手く配置できました。
投票制でririお友達のお店(タイマッサージのラクシュミーさん・アジア池さん・古本と珈琲の楢さん)の協賛で賞品があります!
どうぞ投票にお越しください
おまけのM宮さんとアトム

なかよしです!


Natsuki Hara solo exhibition
梅雨時の作品展でしたが爽やかな風の通っていくようななっちゃんの作品に囲まれた二週間でした。
高校・大学・職場のお友達や先輩後輩も毎日きてくださいました。
ありがとうございました。
明日からはカモメ七夕の競書「もじ展」がはじまります。
今夜は35人分の作品がカモメにかかりました。
大きな作品の方もおられれば小さな石ころの方や、棚の下の方に展示された方もおられて案外とぎゅうぎゅうでなく上手く配置できました。

どうぞ投票にお越しください

おまけのM宮さんとアトム

なかよしです!
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