杉田さんの絵
2015年09月20日
シルバーウィークって言うんですね、今。
シルバーでもホワイトでも、カモメのばぁばぁは火曜の定休日以外はオープンですよ、どうぞ。
ただいまの作家、杉田亨二さんは、八千代の出身で、中卒で横川の会社に就職し、働きながら夜間の国泰寺高校に通って、法政大学入学とともに東京へ転居して中退後働いて今は広島市内におられます。
私が、杉田さんの絵を初めて見たのは確か二年くらい前のガレリアレイノでの個展の時で、ご本人は壊れた額を直しておられていてたいしてお話はしなかったけれど、病院から描かれた何枚かの風景画や、まだ被爆の苦しみの癒えない戦後の紙屋町をパレードする戦車の絵が心のこりました。
それから、カモメのばぁばぁにも来られるようになり、ギャラリーを申し込んでくださったけれど今年最愛の奥様が亡くなられてそれから病気のことや色々な問題が出て来て、大変な状況での今回の個展を開催してくださっています。

子どもの頃の八千代町のご両親との暮らしの風景で、舟で魚など捕っていたそうです。

今の西区民文化センターの辺りに会社があってリヤカーでアルミの鍋などを横川駅まで運んでいたりしたそうです。

当時の横川駅周辺。ミタキ靴店ありましたねー!
(これは、ムラカミおもちゃさんでお借りした当時の写真をもとに描かれています。)

大芝辺りで泳いでいて、今よりきれいな川だったそうです。

夜間高校のプールで泳いでいたころ。学校にプールが出来てから生徒たちの記録が伸びたんですって。
寒くてたき火で暖を取っていたそう。

これは、今の大芝のランニングコース、向こうは大芝水門かな。
おまけのアトム
今朝は帰らん帰らんいうから、オープン10分前にギャラリーに散歩から到着。




外が気持ちええ季節じゃもんねー。
シルバーでもホワイトでも、カモメのばぁばぁは火曜の定休日以外はオープンですよ、どうぞ。
ただいまの作家、杉田亨二さんは、八千代の出身で、中卒で横川の会社に就職し、働きながら夜間の国泰寺高校に通って、法政大学入学とともに東京へ転居して中退後働いて今は広島市内におられます。
私が、杉田さんの絵を初めて見たのは確か二年くらい前のガレリアレイノでの個展の時で、ご本人は壊れた額を直しておられていてたいしてお話はしなかったけれど、病院から描かれた何枚かの風景画や、まだ被爆の苦しみの癒えない戦後の紙屋町をパレードする戦車の絵が心のこりました。
それから、カモメのばぁばぁにも来られるようになり、ギャラリーを申し込んでくださったけれど今年最愛の奥様が亡くなられてそれから病気のことや色々な問題が出て来て、大変な状況での今回の個展を開催してくださっています。

子どもの頃の八千代町のご両親との暮らしの風景で、舟で魚など捕っていたそうです。

今の西区民文化センターの辺りに会社があってリヤカーでアルミの鍋などを横川駅まで運んでいたりしたそうです。

当時の横川駅周辺。ミタキ靴店ありましたねー!
(これは、ムラカミおもちゃさんでお借りした当時の写真をもとに描かれています。)

大芝辺りで泳いでいて、今よりきれいな川だったそうです。

夜間高校のプールで泳いでいたころ。学校にプールが出来てから生徒たちの記録が伸びたんですって。
寒くてたき火で暖を取っていたそう。

これは、今の大芝のランニングコース、向こうは大芝水門かな。
おまけのアトム
今朝は帰らん帰らんいうから、オープン10分前にギャラリーに散歩から到着。




外が気持ちええ季節じゃもんねー。
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